講演+インタビューシリーズ『ライフスタイルを見る視点』


9.まとめ


この暮らしが日本でも《ふつう》になる時代

 都会での生活に別れを告げ、人里離れたところで新しく始める暮らし。世代によっても、或いは生活体験によっても捉え方は違うと思う。私の場合だと、箱根の山荘に移った小説家であり戯曲家でもあった安部公房や、過疎の村で農耕生活を始めた「フォークの神様」こと岡林信康などの名前がふっと頭に浮かぶ。手作りのフラー・ドームで集落をつくったアメリカ・コロラド州のドロップ・シティのイメージも呼び起こされる。私などに本当のところが分かるはずもないが、どのケースも、人付き合いに疲れたとか、既成の組織や体制に組み込まれるのが嫌になったとか、そういう原因を想像させられるものだ。

 若い頃から存じ上げている中村真広さんは、東京での生活が50年近くになるとはいえあくまで地方出身の私のような者にとっては、「ザ・東京」、スマートな好人物という印象が強かったのだが、その中村さんが本格的に引越し、都心から遠く離れた自然の中に暮らし始めたと聞いた。これは安部、岡林、コロラド…どのタイプなのだろうと不思議に思っていたが、今回その地を訪ね、ご本人の話も伺って、それらとはまた異なる、言ってみればもっと今日的である種《ふつう》のライフスタイルなのだとの思いが強まった。もちろん思い切った移住には違いないし、様々な情況や心境があっただろうが、それとて今は《ふつう》と言って良いのではないかと思う。

 20年程前のこと、シドニーの大学のある研究者に会いに行った際、「今晩家に来ないか」と夕食に招かれ「喜んで」と答えたところ、その家というのが、シドニーから100qも離れた田舎にある小山を丸ごと買って、そこに複数の建物を建てて夫婦で暮しているというもので、当然のように夕食は宿泊を伴うものになった。私にとっては全くの想定外だったが、この先生ご夫妻は変わり者でもなんでもなく、いたって《ふつう》な自然体で、かなりの遠距離通勤を伴うそこでの暮らしを大いに楽しんでいるようであった。その時には、こういう暮らしは日本では見かけないよなあと思っていたが、それが今回「これって、日本でも《ふつう》になりつつあるんだ」ということを認識させられた。

 もっとも中村さんは時代の寵児と言っても良い存在だ。徹底的に環境配慮型の建物を配し、自宅以外に居住体験施設のような住居を併設し、近くの山では地元の寺と組んで墓地までつくろうとしている。大きな循環を意図したかのようなこの「村」の構想は、今時の《ふつう》の最先端であることに間違いない。令和の《ふつう》の最先端。昭和の田舎者には追い付けっこない。でもひょっとすると、安部公房や岡林信康やドロップ・シティを思い出すこちらの方が一周遅れの最先端なのかもしれない。それも大きな循環ではある。

(松村秀一)



都市を経て虫(バグ)村

 お話しを伺った「HANARE」の本棚には、フラーやパーマカルチャーの本が並んでいる。ムナーリの「ファンタジア」の隣には,おぼけんさんの「新百姓宣言」(前回の気水空港にもあった)。上の棚にはエネルギー状況をモニターし自給率を表示するセンス良いインターフェースのパネルがある。かと思うと床にはギターとアンプが置かれ、入り口の横には本物の賽銭箱がある。

 主屋に入ると「BUG&PEACE」「虫村」と書かれた提灯がぶら下がっている。神棚があり、食卓には地元の作家に制作してもらった不思議なオブジェ。J.タレルを思い出すトップライトのある瞑想室にはアーティストによる曼荼羅。掘り込んだリビングでは犬が遊んでいる。本当に不思議なミックス。塚本研の後輩の設計者ツバメアーキテクツのデザイン力もあると思うが、やはりこれは中村真広さんの確固たるポリシーとセンスだろう。

 外にでると、雨水利用の仕組みにコンポスト。テスラのバッテリーと衛星インターネット。自然とテクノロジーと宗教とアート作品が、無理ない形で生活の中に存在し、ゆるいオフグリッドが実現している。イデオロギーが強かった時代のものとは明らかに違う。

 周囲には短期居住のための長屋が建設中で、集落ができつつある。そう中村さんは藤野の森に集落(ビレッジ)をつくりたかったのだ。その背景には屋久島と高野山の体験があるという。中村さんがウェブ上のインタビューで「最近彼ら(ツバメアーキテクツ)は下北沢で《BONUS TRACK》(2020)という都市型の集落の実現を成功させています」と語っているのを見つけた。なるほど、商業施設の新しい形とみなされがちなボーナス・トラックは集落なのかと気づかされる。

 子どもでもプログラムできるコンピュータ言語LOGO(後にレゴ・マインドストームに発展)をつくったシーモア・パパートという人がいる。発達心理学者ピアジェの弟子であり、その活動はパーソナルコンピュータを構想したアラン・ケイがダイナブックを提案する根拠にもなった。パパートさんは「バグの体験こそコンピュータリテラシーには必要」と述べている。そもそも「バグ」という概念は、物事や手順を厳密に記述するコンピュータプログラムがあってこそ、はじめて明確になったものだと彼は言う。ツクルバをはじめ「建築×何か」という切り口によって都市で新しいビジネスを確立した中村さんが、教育をきっかけに虫村(バグソン)というあり方に展開されているのを拝見して、パパートさんのことを思い出した。

(鈴木毅)



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