講演+インタビューシリーズ『ライフスタイルを見る視点』


6. 藤野への移住
松村:  藤野への移住は、ツクルバの退任と何か関係があるのでしょうか?
中村:  ツクルバを退いた時期に、第2子が生まれたりコロナ禍が発生したりと色々と重なり、東京暮らしにストレスを感じるようになったんです。当時は都心の古いマンションをリノベして住んでいました。生ゴミを堆肥化していましたが、使い道がないのでコンポスト業者に回収してもらう。一体何をやっているんだろうと思ってしまいました。
松村:  やはりコロナ禍の影響は大きかったんでしょうね。家の中に閉じ込められてしまいましたから。ところで、どういう理由で藤野を選ばれたのでしょうか?
中村:  長女が小学校に入学するタイミングだったので、教育について考える必要もありました。東京にいるとなんとなく塾に行って受験する流れになります。自分自身が通ってきたルートですが、この先の時代を考えるとどこか違和感がありました。co-ba会員のお子さんが藤野のシュタイナー学園に通っていたことを思い出して、見学してみたら面白そうだったんです。調べてみると、藤野は移住者が多く地域通貨などにも取り組んでいる。軽井沢や葉山なども候補でしたが、ベンチャー企業の社長などが結構住んでいる。東京都心のコミュニティと似たような雰囲気を予感したので、少しヒッピーを感じる藤野を選びました。
佐藤:  もともとカウンターカルチャーに関心があったということでしょうか。これまでのお話には特になかったように思いますが。
中村:  そちら側に完全に身を置きたいわけではありませんが、親近感は持っていました。ベンチャーとして起業して資本主義のど真ん中にいた自分がヒッピー側に身を置くことで、両者の架け橋になれるかもしれないと思ったりしました。それから藤野は芸術のまちとして有名です。中山間地域なので大きな工場などを誘致できなかったんです。戦時中には画家たちが疎開していた地域なので、芸術で盛り上げるしか手立てがなかったようです。ですからパブリックアートが街中にありますし、ビエンナーレなどが流行る前から芸術祭を行っていました。



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