講演+インタビューシリーズ『ライフスタイルを見る視点』
考え続けるための本屋−汽水空港
モリテツヤさん
「汽水空港」店主。大学卒業後に2年間の農業研修を行ってから、2011年に鳥取県へ移住。借りた農地で自給用作物を栽培するだけでなく、収穫した作物を無料配布したり畑の無償貸出しを行ったりもしている。



1. ジャカルタから幕張へ
2. カウンターカルチャーへの共感と疑問
3. 湯梨浜町で開店するまで
4. まちの生態系が活発になる
5. セルフリノベーションによる店舗づくり
6. 生きる基本スキルとしての大工作業
7. まとめ



1. ジャカルタから幕張へ
鈴木:  森さんは鳥取県の東郷湖の前で「汽水空港」という本屋を営まれています。同時に耕作放棄地を借りて農業もされていて、育てた作物を無料配布したり、最近は開墾した畑を無料で貸し出したりしています。汽水空港を開店したのは2015年とのことですが、お生まれはどちらになりますか。
森:  実家は千葉県の幕張にありますが、親が転勤族なんです。北九州で生まれた後、インドネシアのジャカルタで暮らしまして、12歳から幕張に住むようになりました。埋立地なので歴史がなく、僕から見ると生身の人間が感じられない街なんです。商業施設はたくさんあっても個人店はほとんどありません。高校時代からアルバイトを始めましたが、人間が感じられない経済システムに全部取り込まれています。
松村:  そういう感覚は僕らの世代が体験していないものですね。僕は1957年生まれですが、子供の頃には全国的なチェーン店は現れていませんでしたから。
森:  僕の場合、ジャカルタ暮らしを挟んでいるのも大きいと思います。1990年代中頃のジャカルタは開発の真っ只中でした。どんどん高層ビルが建っているすぐ横の田んぼを水牛で耕している。路上には勝手に商売している人たちがうじゃうじゃいる。自分と同い年くらいの子供もいて、スコールが降ったら傘を売り捌いていく。そうした様子がすごく羨ましかったことを覚えています。一方、幕張ではハローワークに行って履歴書を書いてからでないと働けない。アルバイト先ではシフトを組んで、働いた時間に応じて賃金が渡される。こうしたシステムの歯車として振る舞うことに窮屈さを感じていました。
松村:  高校生の頃からきちんと言語化できていたんですか、そうした思いを。
森:  当時は漠然と感じていただけです。なんとなくアルバイトに行くのが嫌なとき、人間性を出しながらお金を稼げたら良いのにと思ったりして。そうして土への憧れというか、システム化されていない世界への憧れが徐々に募っていったんだと思います。




1  2  3  4  5  6  7  次ページへ  


ライフスタイルとすまいTOP