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鈴木: |
『日本のまちで屋台が踊る』という本に、 森さんへの詳しいインタビューが載っています。汽水空港を開店する前、跳び箱でつくった屋台を引いて回ったそうですね。
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森: |
幼稚園が廃園になったりするんですよ。その時のオークションで買った跳び箱にタイヤを付け、ゴロゴロ押しながら湯梨浜町で本を売りました。移住して農作業をしたいって言うと、国のために奉仕する正しい若者と思われがちです。だけど僕自身はそういう若者じゃないので、後々トラブルになることは目に見えています。正しい若者と思ったから協力したのにって。そこで、風変わりな屋台で僕が重要と思う本を売り歩きました。こういう思想を持っている人間なんですって自己紹介しながら、本屋にできる空き家を探したんです。
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松村: |
すると会社勤めの経験はないのでしょうか?
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森: |
こちらに来てから鉄工所の正社員として働いたことがありますが、三ヶ月くらいで辞めました。と言うのも、島根原発のパーツづくりの担当になったんです。僕は原発事故で東日本から逃げてきた人間ですし、今も原発は止めた方がいいと思っています。ですから「そんなもの作るくらいだったら辞めてやる」とカッコよく言えればよかったんですが、言えなかった。じゃあせめて入念に溶接するかって取り組んだら、その夜からじんま疹が出て、とうとう皮膚が白く変色し始めてしまった。その時、東京電力社員の気持ちが少し分かった気がしました。組織の中では責任が小さく分散されているし、末端の一人がそんな仕事はできないと言っても誰かが担当することになる。組織の中でノーと言うのはすごく難しい。
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松村: |
簡単に啖呵は切れませんからね。でも体は正直に拒否反応を示したわけですか。
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森: |
様々なシステムで覆われているにせよ、システムを一枚一枚剥がしていけば今でも原野の本質のようなものは存在していると思うんです。でも原発事故が起こると、原野の本質(再生の土台)が崩壊しちゃう。生きていくための取っ掛かりが本当に失われてしまう。僕はそう思うので嫌なわけですよ、原発は。実は妻の実家の目の前がものすごく綺麗な海なんですが、そこから島根原発が見える。年内に再稼働しようとしていて、そうなったらもう泳ぐ気になれないんじゃないかと思っています。
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