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森: |
大学時代は下北沢の気流舎という本屋によく行っていました。ヒッピーカルチャーとかアナキズムとか、カウンターカルチャー専門の古書店です。1960年代にも社会に閉塞感を感じた人々がたくさんいました。彼らは自分たちの思想に基づいてコミューンを作り、精神的な解放を目指して東洋思想を学んだり新しい生活を試みたりしていた。しかし、彼らがお互いを結ぶものは思想だけですから、経済的な問題や情緒的な問題を乗り越えていくのは難しそうだと感じました。そうしたカウンターカルチャー運動の理解に努めながら自分自身の生き方を考えているうち、小さな町で本屋を営みたいと思うようになりました。田舎であればシステムに対する余白が多くあるだろうし、土に触れる生活ができます。食料となる作物や寝泊まりする建物は自分自身でつくっていく。現代社会のシステムの下には、昔からの原野のような層が存在していると思うんですよ。そうした原野に片足を置きながら、生活したいと思った。
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松村: |
お話を伺っていると、鳥取県との縁はなさそうです。どういう経緯で湯梨浜町にやってきたのでしょうか?
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森: |
きっかけは2011年の原発事故です。大学卒業後の数年間は農業を学んでいて、いよいよ土地探しをスタートするぞというタイミングで事故が起きました。逃げるように電車を乗り継いでいって、京都で野宿したりしていました。なかなか適当な場所が見つかりませんでしたが、友人が情報をくれたんです。鳥取の山の中に安い土地があるよって。実際、月1万円ほどだったので、まずはそこを借りて鳥取県に移住しまして、その後、2012年からこの町に引っ越してきました。
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松村: |
汽水空港の建物は手作り感に溢れています。こうした本屋になったのは、 森さんが通った下北沢の体験からきているのでしょうか?
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森: |
気流舎の影響は大きいと思います。何より、迷子になっているのは自分だけじゃないと気付くきっかけになりました。それまで、どう生きれば良いのか悩んでいるのは自分だけと思っていました。でも将来の夢を語るような同世代の人たちも、分かっているわけじゃない。もちろん、お金を稼いで必要なものと交換すれば生きていけます。そうした現代社会の攻略方法らしきことは知っているけれど、実は全員迷子なんですよ。じゃあどういう生き方があり得るのか、本屋という仕事であればそれを考え続けていけると思った。どうやって生きていけばいいのかを考えることは、世代を問わず大切だと思うんです。原発の今後から街路樹の保存まで、反対すればそれで済むわけではありません。僕としてはゼロ地点から考えたくて、そのためにも社会の原野のようなものに立脚することが大切だと思っています。
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