講演+インタビューシリーズ『ライフスタイルを見る視点』


11.まとめ


島原さん、木下さんと大井町に行きたかった

ライフスタイルを考える上で、どんな住まいでという以前に、どんなまちでという問いが先に来るのはごくごく当たり前のことだ。ところが、どんなまちの暮らしはどんなものかというテーマについて、まともに比較分析して語った人はそれほど多くないように思う。

2015年のある日、ズバリこのテーマのもとに書かれた報告書が送られてきた。今回のメインゲスト島原万丈さんからだった。

表紙にやられてしまった。セルジュ・ゲンズブールとジェーン・バーキンが1971年に来日し、どこかの路地をとても楽し気に歩いていた時の写真だ。ここからはわかりにくいが、この時バーキンはおなかに二人の愛の結晶、後のシャルロット・ゲンズブールを宿していた。「官能都市」というタイトルにこれ以上相応しい写真があるだろうか。島原さんがどういう気持ちでまちと人の暮らしを見ているかがこの1枚だけでわかってしまう。

島原さんはまちの魅力をある程度客観的に把握するために、形容詞ではなく動詞を用いたという。そう言えば、よく似たことを随分以前からこのページの企画のパートナー、鈴木毅さんが力説していた。人々の住環境の質は、人と環境の相互作用の中にこそあるのだから、それを語るのに形容詞を用いていたのでは駄目だ、動詞を使わないと。私の理解では、概ねそういう主張だった。これは島原さんのまちに対する考えと全く同じだろう。だから今回は、まちを動詞で捉えるこのお二人、そしてまちに対する存在の仕方自体が「動詞」としか言いようのない木下斉さんと一緒に、島原さんお薦めの官能都市に行きたいと思い、場所を決めて頂いた。「大井町」、それが島原さんの答えだった。私も時々用事のあるまちだが、その官能都市振りを十分に味わったことはない。これは楽しみと思っていたのだが、今回私自身の事情でどうしてもお供できないことになってしまった。本当に残念だ。当日は、島原さんが著書で描写されていた武蔵小山界隈のような動詞的世界が展開したのだろう。羨ましいライフスタイルだ。

(松村秀一)



 たいへん贅沢な取材だった。「官能都市 センシュアス・シティ」の島原万丈さん直々に大井町駅前の魅力的な横丁をご案内いただいた後,地域再生・地方創生の伝道師であり「狂犬」とも恐れられる木下斉さんにも加わっていただき,街についてお話を伺ったのである。これを贅沢といわずしてなんというのか。残念ながら参加できなかった企画者の松村さんの無念さを思うと言葉もない。

 実は島原さんの官能都市のお話は,近大の宮部浩幸さんが担当の講義「企画マネジメント総論」のゲストレクチャラーとしてお招きした時に聴講させてもらっていた。従来の都市や街の評価に対する問題提起と提示される街の魅力・価値は,完全に共感・納得できるものばかりで,ヤン・ゲール,J. ジェイコブスはじめ参照される人々も私が自分の講義で紹介する人々と驚くほど重なっていた。

 私もつねづね,施設数など,とりあえず既に存在する統計からつくっている「住みやすさランキング」には疑問をもっており,街の価値を言語化することを試みてきたが,なかなか皆を説得できることができなかった。

 島原さんの方法論のユニークさの一つは,街・都市の評価軸に「動詞」を使ったことだろう。一般にこの種のアンケートは「形容詞」を使うことが多い。しかし自分が使ったこともない形容詞で「〜感の7段階評価」と問われても回答に悩むことがしばしばである(気分でいくらでも評価が変わりそうだと思いませんか)。それに比べると「動詞」は事実ベースだから回答しやすく(言い換えれば「うそ」がつきにくく)結果に説得力がある。島原さんの街に対する基本的な価値観に加え,このわかりやすい説得力が皆を納得させているのだろう。今,官能都市の評価軸は確実に社会で共有されつつあり,今後の都市のために非常に喜ばしいが,専門家としては先をこされて少し悔しい。

 木下さんの「稼ぐまちが地方を変える」を読んだ時のインパクトは忘れない。補助金頼みではなく,自分達のアイデアで町に必要なものを,無理のない収支計画をたてて運営し,きちんと稼いで税金を地域にまわすのが真っ当なまちづくりだということを教えてもらった。今回,現場の話はもちろん,背景となる制度や法律の歴史の話まで伺うことができ,たいへんためになった。

 途中でも発言したが,これまでの都市計画論・まちづくりは,「お店」「商業」の価値を軽く見すぎてきたのではないか。街や地域の魅力・価値・個性の少なからぬ部分が「お店」「商業」によるものである。店を開くことは地域に不足しているものを生み出す創造であり,市民にとっての自己実現・表現でもある。また商店主は,街の将来を一番真剣に考えている(ざるをえない)人々であり,地域運営の貴重な担い手でもある。サラリーマンばかりの街ではお祭りの運営一つ難しいだろう。

 建築計画の黎明期の研究者の先輩が,当時商業施設をテーマにしようとしたら袋だたきにあったという話を聞いたことがある。公共住宅・公共施設が主な対象であった建築計画の分野では商業施設は「ブルジョア的」なものとして捉えられていたらしい。どうも公共が全てをやろうとした20世紀というものが特殊だったのではないかという疑惑がある。特殊だった20世紀に慣れすぎている研究者や公的セクターがもたもたしているうちに,アカデミズムの専門家ではない島原さんや木下さん達が,本来の街の魅力やあり方を教えてくれたのである。

(鈴木毅)



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