講演+インタビューシリーズ『ライフスタイルを見る視点』
太田博一さん「20世紀型の成熟した住宅地に暮らす(3)千里ニュータウンの現在」
太田博一さん
1976年九州芸術工科大学芸術工学部環境設計学科(現九州大学芸術工学部)環境設計学科卒業。(株)市浦都市開発建築コンサルタンツ(現(株)市浦ハウジング&プランニング)に勤務後、1993年に(株)太田博一建築・都市デザインを設立。住宅地計画、環境デザイン、まちづくりなどに従事。2012年より千里ニュータウン研究・情報センター代表を兼務。



1.千里ニュータウンについて
2.公的賃貸住宅の建替えの進行
3.戸建住宅地の現状
4.近隣センターの現状
5.市民活動・地域交流の現状
6.これからの千里ニュータウンの課題
7.まとめ



1.千里ニュータウンについて
鈴木:  50年以上経った住宅地を展望する「20世紀型の成熟した住宅地に暮らす」の第3回として、大阪の千里ニュータウンの現状を都市プランナーの太田博一さんに紹介して頂きます。太田さんは住民としても千里にお住まいで地域をくまなく歩かれており、千里の現在について一番詳しい方だと思います。太田さんとは、絵葉書をつくる千里グッズの会や,千里ニュータウン研究情報センターの調査・研究などで一緒に活動してきました。
太田:  千里ニュータウンは、大阪都市圏での住宅不足を解消するために昭和30年代から約10年間で開発されました。面積は吹田市と豊中市にまたがる1,160haで、吹田と豊中の面積比率は約7対3です。計画人口は15万人。公共施設用地(道路、公園、緑地等)は、多摩ニュータウンより少し多目で44%を占めます。開発事業者は大阪府企業局で、開発は佐竹台からほぼ反時計回りに進められました。前半は団地を計画する法律に基づく「一団地の住宅施設経営」によって開発され、後半からは「新住宅市街地開発事業」に基づいて開発されていきます。
人口は約13万人に達した1975年がピークです。それ以降は減少し続けて近年は約9万人でしたが、2011年から増加に転じて現在は9.4万人といったところです。高齢化率は1990年頃から急激に上がって行ったわけですが(2012年の高齢化率は約30%)、2011年から多少下がっています。子供に着目すると、例えば新千里東町の東丘小学校の児童数は昭和50年代には1400人を超えていましたが、2000年頃には160人程まで減少しました。最近は団地の建替えによる分譲住宅の建設が進み、児童数は450人程にまで回復したという状況です。



松村:  人口減少の主な原因は子供の減少ですか。
太田:  そうです。当初供給された集合住宅は住戸の規模が小さかったので、二世帯居住は無理なんです。しかも千里ニュータウンで生まれ育った世代が戻ってこようとしても、公的住宅は抽選になってしまうので、なかなか戻って来れなかった。
松村:  すると最近の人口増加は建替えのおかげということですか。
鈴木:  千里中央の「よみうり文化センター」も建て替えでホールがなくなり、50階建てくらいのマンションができるんですよね。
太田:  千里は立地が良いので分譲マンションの人気は高いんです。人口増加は建替えによる分譲マンションの建設のおかげですが、供給過多になっているような気がします。千里中央の50階建てのタワーマンション(2009年竣工)は、まだまだ埋まっていないんじゃないかと思います。
千里中央は副都心化の計画に基づいて10年程前から再整備が行われてきました。現在はタワーマンションや大型電気店などが駅前に建って大きく様相が変わっています。南千里でも再整備が進行し、村野藤吾さん設計の阪急の寮はマンションに建替わりました。また、これも村野さん設計の地区センターも最近新しい建物に移転しましたが、新しい地区センターは、近くの団地に真っ直ぐに抜けていた駅前の眺望を閉ざしてしまっていて、公共施設でも景観や眺望をあまり考慮しない建替えが目立っているように思います。
松村:  最近はどこにでも超高層が建っていますよね。地域のスケール感に合ってないというか、なんか不思議なことが全国で起きていますね。



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