講演+インタビューシリーズ『ライフスタイルを見る視点』
中村政人さん「アーティストの遊休建物利用遍歴」
中村政人さん
1963年生まれのアーティスト。東京芸術大学大学院を修了したのち、韓国に留学し、弘益大学大学院西洋画科修士課程を満期修了。現在は東京芸術大学准教授、3331 Arts Chiyoda 統括ディレクターを務める。



1.始まりは立川の米軍ハウス
2.韓国留学時代のアトリエ・シェア
3.天高4m以上・最低30坪、家賃は限りなくタダに近く
4.アトリエづくりから始まってしまうわけ
5.制作の場を取り巻く街、街の要素としての制作の場
6.旧練成中学校の活用プロジェクト「3331 Arts Chiyoda」
7.3331の利用の仕方
8.「紙」と「WEB」と「場所」
9.まとめ



1.始まりは立川の米軍ハウス
中村:  僕は秋田県大館市の出身で、18歳で東京に出てきましたが、上京した時から建物をシェアしているんです。最初に立川の一軒家に3人で住んで、その後に米軍ハウスに移って木造平屋に手を加えながら住んでいました。
松村:  当時は芸大生だったわけですよね。
中村:  あまり通ってはいませんでしたけどね(笑い)。結局、留学直前まで立川に8年間いました。米軍ハウスは並んでいるので、友達とシェアしながら5、6世帯共同で住むような雰囲気なんです。するとみんな趣味が似てきて1960年代にタイム・スリップしたような生活をしていました。当時の写真を見ると80年代と分からないほどです。例えば、ライトをたくさん付けたベスパに軍用コートを着て走るモッズというスタイルが60年代にありましたが、そうしたスタイルを遅れて真似しながら福生や国立や国分寺で遊ぶという感じです。

そうした暮らしをしていた二十歳頃のことですが、大きな倉庫をアトリエとして借りたんです。米軍ハウスから徒歩5分のところにあった「石田倉庫」という建物です。家賃は15万円くらい。当然1人では払えないから10人程でシェアです。私は、最初の4年間くらいリーダーでした。24時間使え、ある程度の音や匂いの出る作業もOKだったのでとても貴重なアトリエでした。この石田倉庫は借り手が代わりながら今もアトリエとして使われ続けています。作家同士の関係が広がってアート系のコミュニティになって行って、地域との関係も出来たみたいです。僕たちの頃は24時間使える広い場所が欲しいだけだった。でも今では年1回オープンスタジオをやるようになっていて、これに地域の人も屋台を出したりしている。もう30年くらい経ちますから、こんなに続いているプロジェクトはちょっとないと思います。



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