講演+インタビューシリーズ『ライフスタイルを見る視点』


9.まとめ


生活空間としての「町」を感じさせる新しい「場」

中村政人さんは以前から存じ上げている。拙著「『住宅』という考え方」(1999年刊)をお読み頂き、突然連絡して来られてからのことだ。今日の日常的な風景の背後にある社会、とりわけ「住宅」を実体化させる仕組みとその歴史的な背景、そしてあり得たであろうオールタナティヴに思いを馳せながら書いた本だったが、読者としての中村さんはその点に反応して下さった。それから時折中村さんとはお会いする機会があったし、アーツ千代田3331の立上げの際にも何かと接点があった。

実は、私もしばしばアーツ千代田3331を使わせて頂いている。友人も何名かここに事務所を置いている。私にとっては、いつでもふらっと立ち寄りたくなる場所である。来たことのない人を必ず案内したくなる場所でもある。集まる人々の多様性も魅力的だし、いつ行っても新しいイベントがどこかで行われている。元中学校の廊下や階段、上履きの匂いが残る体育館なども身体になじみが良く、どこかほっとする。そして、公園とののびやかな関係。天気の良い日などはベンチにずっと腰掛けていたくなる。

私が勝手に言ってきた「利用の構想力」が組織化された最良の事例だと思う。中村さんたちの「利用の構想力」とその組織化によって、廃校とそれとは全く関係のなかった平凡な公園が、こんなにも輝く「場」になることに正直驚いている。そして、この「場」の登場で生活空間としての地域も変わりつつあるように思う。

この「場」の大きな特徴は、一般の商業施設やサービス施設に見られる生産者と消費者の明確な区分けがなく、いわば仕事も遊びも含めた人間の生活の全体が、特段の区別なく包容されているところにあると感じる。この空間は「町」と呼んでも良いかもしれない。少なくとも現代人としての私はこんな「場」を潜在的に希求していたのである。中村さんにはそのことに気付かされた。

(松村秀一)



中村政人さんのことは,「秋葉原TV」の頃からずっと気になっていた。東京都現代美術館の「MOTアニュアル2000低温火傷展」で見た各コンビニの広告サインからロゴを取ってストライプのみとした作品は今でも印象に残っている。考えてみるとどちらも街がテーマである。その中村さんがとうとう街の中にアートの場自体を生み出したのである。

お話を伺う前にアーツ千代田3331を見学した。これまで見た中で一番活気のあるアート・文化施設だと思った。それもただ賑わっているだけでなく,今ここで何かが生まれつつあること,それを担う数々の個人やグループが存在し,連携して活動していることをひしひしと実感できるのだ。

世の中には、一見活発に文化活動が行われているようだが,実態としては文化を消費する閉じたハコになっている施設というものが実は結構多い。3331はそれらと対照的である。松村さんのいう「利用の構想力」の最良の事例が誕生したと感じる。

空間デザインも魅力的である。公園側にオープンにした大変更の効果も大きいが内部もいい。この建物では以前プルーヴェ展が開催されたことがある。展覧会自体はとても良かったのだか,リノベの時代といっても元が昭和の公立中学校の建物ではデザイン的に限界があるなと感じた覚えがある。ところが3331になって印象が全く変わった(最初同じ学校だと気がつかなかった)。カラーリングや細かな造作の処理かセンスなのかうまく指摘できないのだが,軽やかな雰囲気になり,それが中身の活動をより生き生きと見せている。

こうした場が成立した背景には,大学時代,韓国での留学時代から延々続く中村さんの筋金入りの場所形成の歴史があることがインタビューでよくわかった。人を説得し,物理的な場を作り(大工道具どころかチェーンソーを所有しているのだ),運営することを繰り返してきた。その延長に3331 があるのだ。

ここ数年,新しい魅力的な場所・ビルディングタイプが生まれる背景には,必ずそのテーマについて一番真剣に考えている「当事者」がいるというのが私の主張である。コミュニティカフェにしても,宅老所にしても,フリースクールにしても,院内助産所にしても,そういう場を切実に必要として,そのあり方を構想できる「当事者」が生み出してきたのだ(残念ながら建築の専門家はあまり関わっていない)。そして今やアート施設も建築家ではなく,当事者であるアーティストが造る時代になったのである。

(鈴木毅)



中村政人さんにとって,創作活動の場を決めるポイントは,その空間の物理的な大きさと,立地している場所の特性にあるようだ。言われてみれば当たり前の話であるが,作品づくりへの情熱が,場所探しやアトリエづくりから始まっているアーティストは日本に何人ぐらいおられるのだろうか。

最近ではすっかりお馴染みになったアーティスト・イン・レジデンスも,中村政人さんの強烈な経験談を伺っていると軟弱なアート活動に聞こえてしまう。アーティストが自身で,作品に直接関係が無い人と交渉し,相手を説得して,アートの場を確保することは実に面倒で骨の折れる仕事である。できれば代理人を立てたい作業であろう。しかし,自分が動くことで生まれる数々の社会的接触が,アーティスト自身をたくましくし,作品に社会性と現代的な意味を与えていることは,中村政人さんの作品を例に挙げるまでもなく容易に想像できる。

私は,現代美術については全くの素人だが,美術館を飛び出して,街なかや農村部で活発に行われている現代アートの表現を見ると,美術館の箱の中でしか生きていけない現代美術はむしろ少数派と感じる。この様な時代背景の中でうまれたアーツ千代田3331は,中村政人さんのアート作品そのものといえよう。数々の修羅場をくぐり抜けてきたからこそ出現したこのアート作品には,人々を引きつける多くの仕掛けとノウハウがいっぱい詰まっている。何かと弱気になっている日本であるが,ここでは,みじんも感じない。この場に来る心地よさや魅力に,既に多くの人が引き込まれているようだ。

もし問題が一点あるとすると,アーツ千代田3331は中村政人さんにしか運営・管理できないということである。そういう意味で,中村政人さんにとっても,とりあえず期限が付いているということは,いいことなのかもしれない。

(西田徹)




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