講演+インタビューシリーズ『ライフスタイルを見る視点』


2. プログラマーとしての挫折
久永:  高校卒業後はシアトルの短大で学び、オレゴンの大学にも通いました。この間に学んだのはプログラミングです。シアトルのホストファミリーの父親がコンピューター関連だったんですよ。その仕事ぶりに憧れたのがきっかけですが、大学の高学年になると内容がすごく難しい。同じクラスにはインドやベトナムなどからやってきた精鋭がいて、その人達には敵わないと感じるようになりました。
それでも、身につけたスキルに多少なりとも自負があったので、帰国してプログラマーの職を探しました。兄の紹介もあって、日本の企業でインターンシップ研修を受けることになりました。大手町にあったその会社では、コードの間違い探しやデバックを担当しましたが、これが全然できなかったんです。また、アメリカのIT企業だと休み時間にバスケットや水泳をするような働き方ですが、その会社ではパーテーションに囲まれて黙々と作業する。そうした働き方が身体的にも精神的にも合わなくて、半年ももちませんでした。今から思うと、その会社でやっていけるかどうか試されていたと思うんですが…。
松村:  アメリカで9年間も過ごしてきて、よく日本に帰る決心がつきましたね。
久永:  その時期に祖父が脳梗塞で倒れてしまったんです。家族と長期間離れて里心がつき始めていたこともあって、祖父と会う時間を作りたいという思いから帰国を決心しました。



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