まちの経営学の必要性
アメリカのグリーンベルトとイギリスのレッチワースという、世界的にも著名で歴史のある二つの郊外住宅地。その話をお聞きして、改めてまちの経営の重要性を認識させられた。
現在の市場の仕組みでは、アメリカにせよイギリスにせよ日本にせよ、個々の住宅と土地に関する権利の独立性が高い程市場での交換が容易であり、金融制度とのなじみも良い。しかし、権利の独立性が高ければ、まち全体の住環境の質の維持や継続性については、市場任せで他律的になってしまう。これに対して、グリーンベルトでは住民の意思を反映できる仕組みを持ったハウジングコオウプが、レッチワースでは田園都市のスピリットを引き継ぐヘリテージ財団が、個々の取引や増改築をコントロールする権利を有する形で、まち全体の価値管理を担っている。幾分私権は制限されるが、長期に亘って住環境の質を維持するのには有利な方法と言えそうである。特に、アメリカやイギリスのように中古流通が活発で住民の転出入頻度が高い場合には、こうしたまちの経営主体の存在はより重要性を増すものと考えられる。
しかし、経営主体が存在することが良好な住環境の継続を保証するわけではない。企業にも経営の良し悪しがあるように、当然のことながらまちの経営の内容そのものが問題だ。この点では、さすがに75年或は100年という歴史を重ねた二つの住宅地、失敗も含めて学ぶに足る多くの経験を持っている。今日、企業の経営に関する出版物や記事の類は数え切れないほど存在し、経営学という独立した学術分野も成立している。それでもなお企業経営の失敗は枚挙に暇がない。そのことからすれば、まちの経営についても、ある種共通の指標を定め、国際的なケーススタディを積み重ねるべきであろう。そろそろ「まちの経営学」を担う人々が数多く現れてほしいものである。
(松村秀一)
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