講演+インタビューシリーズ『ライフスタイルを見る視点』


9.まとめ


まちの経営学の必要性

アメリカのグリーンベルトとイギリスのレッチワースという、世界的にも著名で歴史のある二つの郊外住宅地。その話をお聞きして、改めてまちの経営の重要性を認識させられた。

現在の市場の仕組みでは、アメリカにせよイギリスにせよ日本にせよ、個々の住宅と土地に関する権利の独立性が高い程市場での交換が容易であり、金融制度とのなじみも良い。しかし、権利の独立性が高ければ、まち全体の住環境の質の維持や継続性については、市場任せで他律的になってしまう。これに対して、グリーンベルトでは住民の意思を反映できる仕組みを持ったハウジングコオウプが、レッチワースでは田園都市のスピリットを引き継ぐヘリテージ財団が、個々の取引や増改築をコントロールする権利を有する形で、まち全体の価値管理を担っている。幾分私権は制限されるが、長期に亘って住環境の質を維持するのには有利な方法と言えそうである。特に、アメリカやイギリスのように中古流通が活発で住民の転出入頻度が高い場合には、こうしたまちの経営主体の存在はより重要性を増すものと考えられる。

しかし、経営主体が存在することが良好な住環境の継続を保証するわけではない。企業にも経営の良し悪しがあるように、当然のことながらまちの経営の内容そのものが問題だ。この点では、さすがに75年或は100年という歴史を重ねた二つの住宅地、失敗も含めて学ぶに足る多くの経験を持っている。今日、企業の経営に関する出版物や記事の類は数え切れないほど存在し、経営学という独立した学術分野も成立している。それでもなお企業経営の失敗は枚挙に暇がない。そのことからすれば、まちの経営についても、ある種共通の指標を定め、国際的なケーススタディを積み重ねるべきであろう。そろそろ「まちの経営学」を担う人々が数多く現れてほしいものである。

(松村秀一)



ご本人は忘れてしまったかもしれないが,松村さんが当時住んでいた町について「新しい施設や店が徐々に出来てくることがうれしい」と言われていたことをよく覚えている。当時私はそれほど変化のない下町エリアに住んでいたのであまりピンと来なかったが,成熟した町について考えるようになった今ならその気持ちがよくわかる。

住みやすい町の条件として,環境要因やインフラの整備状況など様々なものがあげられるが,こういう施設があること,サービスが整っているといったスタティックな条件以外に,「その町が少しずつよくなっている」のを実感できること,いわばより良い未来への変化の認識もかなり重要であり,自分の住んでいる町について愛着を持てるための条件の一つなのである。

さて,建設途上の住宅地であるなら,変化の認識はわかりやすく,難しいことではない。建設自体がより良い未来への着実な変化である。ニュータウンの歴史年表の記載を見るとそのほとんどが,○○センターがオープンした。□□線が開通したというように新しい施設やインフラが完成した記録であることに気づくが,それらはそのまま「町が少しずつ(どんどん)よくなっている」ことを実感する材料であっただろう。

問題は建設が終わった後だ。町が完成してしまったら新規建設はごく限定的であり,そのままにしておいたら,後は老朽化の一途であり,むしろ町が徐々に衰えていくのを実感してしまうことになる。では完成後に町が良くなっていくことを実感するにはどうすればよいのか。グリーンベルトとレッチワースは,この点について学ぶべきことの多い町である。

グリーンベルトで感心するのは,町に入居した第一世代のみならず,町で育った第2世代や新規入居者たちによって,ファーマーズマーケットやドッグパークなど,つぎつぎに新しい場や活動が生まれ,それが現代に相応しい機能を 町に加え,着実に町の魅力を増していることである。これらの活動が生まれるたびに,住民は町が着実によくなっていることを実感しているだろう。レッチワースについても,ただ古きよき環境を保全しているだけなはなく,必要に応じて仕組みを変更し,町に相応しい形式で新しい施設を創り,また住民も町の魅力を伝える活動をしている。

これらの背景には,しっかりしたマネジメントの組織があること,住民達が町に誇りをもっていることがあると思われるのだが,それだけでもなさそうである(レッチワースも,グリーンベルトも,それぞれイギリス,アメリカで一般的な事例とは言えないだろう)。成熟した町の実現に向けてまだまだ学び考えなければいけないことがある。

(鈴木毅)



レッチワースの生みの親であるハワードは都市計画家ではなかった。一介の速記者であったハワードは独学で田園都市論を組み立てあげた。当初は誰にも相手にされなかった思想であったが,共鳴した市民たちが公的な力を借りることなくレッチワースなどのニュータウンをイギリスに誕生させた。その思想は住民たちに受け継がれ,100年以上経た現在でもまち並みから感じることが出来る。

成熟したニュータウンのポテンシャルとは,まちに対するコミュニティの意識の高さであることがよくわかった。長年かけて築きあげたものは,住む人が変わっても持ち続けることができるまちのプライドである。そのプライドは,まち並みそのものに現れている。それは,偉そうな高級感とかではなく,親しみやすくて品がよく,美しいものである。レッチワースを歩いて痛いほど感じた。自由な増改築や建て替えをコミュニティが黙認していると,住環境は目に見えて悪化していくだろう。増改築などの規定をコミュニティ内でうまく合意形成し,実行するための推進主体の存在が必要不可欠であることも分かった。そもそも増改築は,家族構成の変化や住機能の改善などに対応した人間の基本的な欲求の表れだと思う。個人の欲望はコントロールしないとどうにもならない。個人の資産価値を目に見える形でコントロールし,まちのブランディングと関連づけることは,とても分かりやすく有効な手法であると感じる。

いずれにしても成長期を経て成熟期に入った多くのニュータウンは現在大きな岐路に立たされている。まずは,自分たちのまちに関心を持ち,みんなで知恵を出し合い,プライドをもって行動するしか生き延びる道はない。

(西田徹)




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