ライフスタイル考現行


40年目の郊外住宅地



1.はじめに

2.G地域について

  G団地および周辺について
  G団地の開発
  オリジナルへの増築
  家族の拡大と空間の拡大
  オリジナルを建替える理由

3.開発当初に入居したAさん −住宅の拡大と家族の縮小−

  40年前のG団地への入居
  家族の器としての住宅の拡大
  子ども達の独立と高齢化
  第1世代の高齢者の集団活動
  40年の変化

4.20年前に入居したBさん −郊外でのアクティブ・シニア・ライフ−

  遅れての入居
  近所付き合い
  老後の趣味

5.10年前に親と同居し始めたCさん −老後の住処として選択された郊外−

  父母の入居の経緯
  子世帯の入居
  現役=社宅,老後=郊外
  社宅と郊外の近所付き合いの違い
  親との同居,子との同居

6.まとめ

  センチメンタル・サバービア
  いとおしさを越えて



1.はじめに

奈良市北西部の丘陵地帯に位置するG団地は、1964年から分譲が開始された戸建住宅の団地です。1968年までの5年間に供給された住宅は約200戸。すべて当時市場に出たばかりの平屋建てのプレハブ住宅でした。

私は大学院時代にプレハブ住宅を専門に研究したことがありましたので、数十年を経てなお初期のプレハブ住宅が残っているものかどうかに大変興味がありました。そこで、今から8年前の1996年に研究室の学生や研究仲間と一緒にこのG団地を訪れ、全戸の経年変化を丹念に調べました。その結果、ほぼ半数もの初期建物が取壊されることなく、あるものはそのまま、またあるものは2階建てに増築されながらも残っていることがわかりました。

「高々30年しか経っていないのだから当然じゃないか」と思われる方がいるかもしれませんが、日本の住宅にはそれよりも短い年数で取壊されているものが多い上に、この30年間の経済成長に伴う居住水準の向上には目覚しいものがあり、1960年代半ばの平屋建てプレハブ住宅が半数も残っていることには本当に驚かされました。

その調査から8年。G団地はどうなっているだろうか?8年前の調査時に既に還暦を越えた住民が目立つようになっていたあの住宅地は、すっかり姿を変えてしまっているのではないか?もう1度G団地を訪ねてみよう。ということで、8年前に一緒に調査を企画した九州大学の菊地先生、当時大学院生としてこの団地に張りついて調査を実施した九州大学の柴田助手、東京工芸大学の脇山助手を誘って、久しぶりにこの団地を訪れました。もちろんこのHPを一緒に作っている大阪大学の鈴木先生、A/Eワークスの佐藤さんも一緒です。

8年前に訪れた時には、それぞれの増改築に思い思いの庭づくりや外構が施され、分譲開始時の写真からは想像がつかないほど成熟した住宅地になっていましたが、今回訪れた築後40年目のG団地は、意外なほどにその姿を変えていませんでした。住民の方々から伺った話では、住民の方もほとんど変わっていないとのこと。ただし、かつての少年少女の中には、就職しこの地を離れていった人も少なくないとのことではありました。そのため、かつてこの団地を30代や40代の働き盛りの時に購入した夫婦が二人だけで、場合によっては配偶者に先立たれ一人きりで暮らしているお宅も増えているようでした。

高度経済成長期に子育て世帯が購入し、今や極端に高齢世帯の比率が高まっているG団地のような住宅地は日本中に無数にあることでしょう。幸い、この団地では住民の高齢化に伴う問題が顕在化しているようではありませんでしたし、家や庭や外構に対するそれぞれの住民の働きかけが40年間繰り返された結果としての成熟した居住環境は壊されることなく守られてもいました。しかし、50年目、60年目はどうなのでしょうか?人の住まなくなった空家が散見されたり、住民が変わってしまうことで、長年かけて形成されてきたものが根こそぎ壊され、この団地の歴史もろとも消し去ってしまうようなことは起こらないでしょうか?

同じ地に長く住むというライフスタイルと、サラリーマンが増えた結果として世代毎に離れた土地に住むというライフスタイル。この二つを重ね合せた時、ごく一般的な住宅地に何が起こるのか?G団地のこれまでとこれからは、そのことをはっきりとした形で教えてくれるだろうと思います。今回はまだそのことがわかる段階ではなかったかもしれません。私たちは8年後にまた訪れます。(松村秀一)


2.G団地について

G団地および周辺について

G団地は奈良市の西北部にあり、最寄り駅までバスで15分、最寄り駅から難波まで電車で30分弱と、関西圏の典型的な郊外住宅団地の1つである。最寄り駅地区の開発が進んだのは戦後であり、駅周辺には戸建住宅団地が多く開発されている。

G団地は、元々国有林であった場所を1960年代初頭に造成して開発した住宅地であり、地勢は、西から東、北から南、へとなだらかに低くなり、東西と南北の方向にほぼ等間隔で走る碁盤目状の道路によって、敷地は整然と区画されている。

開発当初は周辺に多くの自然が残っていたが、昭和40年代半ば以降に周辺地区が開発され、現在までに周辺と合わせて戸建住宅地区を形成している。平成8年現在で279世帯に767人が居住しており、2004年現在では298戸の住宅が建っている。


G団地の開発

1964〜68年の5年の間にG団地内の203区画が、S社によって売建方式で販売された。 当時S社によって販売された建物(以下、"オリジナル"と呼ぶ)は平屋建であり、軽量鉄骨の軸組に内・外壁のパネルを取り付けるという、典型的な初期の工業化戸建住宅である。建物の主要寸法は、梁間方向が6mもしくは7m、桁行方向は8mもしくは10m(後に12mと14mが加わる)、であり、プラン的な制約条件も大きかったという。このように、大きくとも100m2の平屋の戸建住宅が平均で250m2程度の敷地の中に建ち並ぶ、余裕のある建てられ方をされていた。



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