ライフスタイル考現行


6.まとめ

センチメンタル・サバービア

8年前の調査は,住宅や塀や生垣など地域的な物理環境が対象だった。とくにモノとしての住宅がテーマで,松村さんに「オカグラ増築」について解説してもらったりして,その変貌ぶりを面白がっていた。それがいまは,ジッと動かないでいる感じである。

下の2枚の写真を見てほしい。8年前と今回撮ったものだが,「間違い探し」のように瓜二つである。しかし,この「変わらない」ことが必ずしも「持続」を意味しているわけではなかった。

 

「持続」するためには「新陳代謝」することが必要で,この住宅地はいまそうなるかどうかの瀬戸際を迎えている。居住者についていえば,家族内の世代交代による新陳代謝と入替わりによる新陳代謝とがある。そして,どちらかといえば私の興味は前者,郊外住宅地で世代交代がありうるか,のほうにある。

このHPの「ライフスタイルを見る視点」第4回で黒野さんが「場所ごとのライフスタイルがあって,それに合わせて生活を組み立てる」ということをいっている。では,今回の「40年後の郊外住宅地」に見合ったライフスタイルとはどんなものか? いまここで目にするのは,極度に高齢化の進んだのっぴきならない局面ばかりだ。もしかすると,この場所なりのライフスタイルとは一代限りのもので,このまま終末を迎えるべきものではないかという気さえしてくる。

しかし一方で,Cさん(ルポのページ参照)のように定年を過ぎてからここへ帰ってくるという人もいる。親が暮らしていたというだけで,本人はそれまで一度もここに住んだことがないのにである。加えて,Cさんは自分の息子にも同じような選択肢を与えるという。いわゆる故郷を喪失したサラリーマン家族が,ここを故郷とするような思いが芽生えつつあるのか? ただ,Cさんにしても近所付合いはほとんどない。ここでの故郷は,あくまで地域から切り出された「住宅」である。

例えば25年前にオカグラ増築をしたAさん宅(ルポのページ参照)では,その増築で子供室と続き間和室とをつくったが,いまでは子供たちも巣立ち,老夫婦2人暮らしで,生活には1階しか使わない。でも,2階はそのままにしていて,子供室もちゃんと残している。日常的に使われることだけが住宅の役目ではない。たかが一代でも,住宅には家の歴史が詰まっている。

この住宅地の将来は,そういう第一世代の「思い」を次の世代に繋いていけるかにかかっているのかもしれない。ただし,それは「地域」にではなく,あくまで「家」に対する思いだが・・・。

(菊地成朋)


いとおしさを越えて

菊地さん,松村さん達が,最初にこの団地の調査・研究をまとめられた時に話を聞く機会があった。当初はほとんど均質に計画されたはずの町が,ちょっとした環境条件の違いと,その後の居住者同士の相互の影響によって,通りやエリアごとに少しずつ異なった姿に成長していくという非常に刺激的な話であり,またそもそも現代の住宅地に対しても,単なるPOE(入居後評価)でない,こうした成熟した町の厚みとでもいうべき現象を扱う時期になったのだという感慨を持ったことを覚えている。

今回実際に町を歩き,その成熟的変化を見ることができた。元のままに近い姿のお宅,実に様々な増築,そして建替えられたお宅。シンプルな最初期のプレハブから発展したとは思えない多様性がある。それはこの団地と居住者,そして日本の社会が経た時間を物語っている。今や街路の主要素である「緑」も,生け垣と芝生+庭木のスタイルから,ガーデニングへと時代の変遷と個性を反映している。ヨーロッパ的な感覚からいったら,統一のとれた町並みとはいえないだろう。しかし,バブルの頃や神戸で震災後にみられた破壊的な建替えはほとんどない。柄でもないが,この町をいとおしく感じた。

インタビューでは,住宅しかなかった頃の苦労,環境を守り良くしていくための努力,独立して離れて住む子供さんのお話を伺った。本田考義監督の映画「ニュータウン物語」を思い出す。規模や形式は多少違っても,ほとんど何もないところに生まれた住宅地を居住者が住環境に育てていった経験は,少なからぬ日本人の共有体験といってよいだろう。住まい手たちが自分たちが育てたこうした環境のコンテクストをいかに次世代に引き渡されるべきなのだろうか。

(鈴木毅)



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