講演+インタビューシリーズ『ライフスタイルを見る視点』


2.ハギエンナーレ2012
宮崎:  大学院を修了して磯崎アトリエに就職してからも、ずっとここに住んでいました。上海勤務で1年ほど日本を離れた時期もありますが、日本の拠点はここです。ちなみに上海はリノベーションがすごく盛んで、防空壕をナイトクラブにしたり屠殺場を商業施設にしたりと衝撃的なプロジェクトを目の当たりしました。
松村:  そうしたプロジェジェクトは、上海万博がらみの建設ラッシュに対する反発だったのかもしれませね。
宮崎:  僕自身も砂漠のような場所に3万uの劇場を造っていたわけです。そうした自分の仕事に疑問を感じ始めていた時期に、東日本大震災がありました。たまたま3月11日は東京にいまして、はっきりと心境が変わりました。その月には磯崎アトリエを辞め、東北に行って学生たちに交じってボランティアをしてきました。
こうした流れで退職したので、本気で独立を考え始めたのはボランティアから戻ってからです。そうしたら「東京に地震が来たら責任が持てないので、萩荘を壊して駐車場にする」と大家さんが言ってきたんです。その少し前には、すぐ近くの銭湯が突然なくなり、街のミニ開発を見ているだけの自分に情けなさを感じていたところでした。
人が死んだら葬式をしますよね。だから萩荘にも死に化粧をしてあげて、最後を看取ってやろうと考えました。その葬式を「ハギエンナーレ2012」と名付け、3週間のアートイベントを実施したんです。例えば、家中に落ちていたビスとくぎを集めて壁に打ち付けたり柱を彫刻するなど、当時住んでいたアーティストや建築家の卵が中心となって20人くらいが作品を制作したわけです。そうしたら延べ1500人ほどが集まり、最後のパーティーも大盛況でした。





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