講演+インタビューシリーズ『ライフスタイルを見る視点』


8.まとめ


暗い中にほのかに光る漆仕上げの柱,腰板,建具。一心に下地の作業をされる職人さん。そして,埃厳禁のため,その様子を直接見ることはできなかったが,蔵の中で最終仕上げの上塗りをされている職人さんの気配。まさに生き続けてきた建築を体験することができた貴重な取材であった。

塗師屋という職業の元々の姿,輪島塗りを創りだす場と住居が一体化した形は,輪島でももうほとんどないという。大崎さんの御店がこうした形で現在も営まれ,ショールームなど新たな装いも加えて維持され続けていることは,輪島だけではなく,日本という国にとってたいへんな財産である。

大崎さんの話を伺っていると,海外のお話や美術の話題がどんどん出てきて,塗師屋という存在が,職人をオーガナイズして輪島塗りを製造・販売するプロデューサーであり,各地を廻り,情報を媒介する役割をもった教養人でもあることが実感できる。

松村さんのように日本の各地を回っているわけではなく,数少ない訪問経験しかないが,かつて日本の地域は豊かだったのだと感じることがしばしばある。今回大崎さんの御店に伺って確信になった。(今更強調することではないのかもしれないが)経済的にも文化的にも知識的にも日本の地方は間違いなく豊かだったのだ。

ある意味,だからこそ,明治維新という中央集権的な近代化が可能であったわけだが,近代の「どんつき」(©西川祐子先生)を迎えた今,日本の将来像を考える時,かつての豊かさの担い手,輪島における塗師屋のような地域の資産を生かさない手はないだろう。そのためには,震災をきっかけに生まれた萩野紀一郎さんたちのNPO活動のような,外からの視点をもって地方の価値を再発見しサポートする新しい力も重要な役割を果たすに違いない。

(鈴木毅)



無知をさらして本当に恥ずかしい話だが,この歳になるまで輪島塗とその他の漆器との違いを全く知らなかった。例えば,飛騨高山などで作っている春慶塗などは見た目で違うのでさすがに分かるが,産地の違いで名前がついているのだと単純に思っていた。お話を伺って,輪島塗が別格扱いになっていったプロセスがよく分かった。ただし,外見上で輪島塗を判断することは私には無理だろうし,輪島塗とよばれているものの中にもおそらくランクや偽物があって,欲しいと思っても素人が手を出すのは怖い。大アさんが震災後につくられたというショールームで見せていただいた輪島塗はどれも美しく,久々に眠っていた購買欲が出てきた。インタビューの翌日,有名な輪島の朝市で漆器店を数軒まわったが,シンプルなものでも結構値段が張るし,大アさんのところの漆器との違いもよく分からなかったので,結局何も購入せずに帰った。

しかし,どうしても輪島塗のことが頭から離れないので,インタビューの一週間後にもう一度妻を連れて輪島を訪れた。色々なお店を妻と見て回ったが,妻のコメントも同じで,値段の違いがよく分からないという。結局,大アさんの塗師屋に行って購入を検討することにした。大アさんのお話の中で「オートクチュール」であるとおっしゃっていた塗師屋の意味と役割がよく分かった。ショールームの機能や大アさんの奥様の役割も自分が客として実体験することで更によく分かった。見本の漆器も在庫があれば商品として売っているのだが,希望を言って,オリジナルの漆器を製作していただくことが正式な購入方法である。悩んだあげく,在庫があった自分用の飯椀を一つ購入し,カップを二つ注文した。完成には一年ほどかかるそうだ。これも何かの縁である。生産者の顔が見えるモノは使っていてとても気持ちがよい。それに,一生ものだと思えば,決して高い買い物ではないといえる。

これも元をただせば,地震で土蔵が倒壊せず,修復できたことが大きい。大アさんの心意気で消えつつある大切な日本の伝統工芸文化を守ることができたと言えよう。今回の体験で,輪島塗もそうであるが,土蔵をはじめとした建築物もただの箱ではなく,有機的存在として人間と共に生きているモノだといえる確かな証拠を発見できたように思う。

(西田徹)




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