車でのアクセス可能な離島「伊計島・浜比嘉島」

◆伊計島・浜比嘉島とは

沖縄県東部のうるま市には、平安座島、宮城島、浜比嘉島、伊計島という離島がある。これら4島は、沖縄本島から車で直接訪問でき、那覇空港から車で約一時間半の場所だ。その中で、今回私たちは伊計島と浜比嘉島の二島を訪れた。この二島を紹介したい。 初めに伊計島は、面積1.81km2、人口300人強の小さな島である。1982年に伊計島と宮城島と結ぶ伊計大橋が完成・開通したことで、本島から車でアクセス可能になった。それまでは、本島の屋慶名港からでる船が唯一の交通機関だったという。
浜比嘉島は面積1.95km2、人口500人以上の島である。1997年に浜比嘉大橋が開通し、車でのアクセスが可能になった。本島への道路整備が整ったのは、離島4島の中で浜比嘉島が一番遅い。浜比嘉島は島西部の浜地区、東部の比嘉地区と分けられ、今回私たちは浜地区を訪れた。


図1:伊計島・浜比嘉島の位置
国土交通省国土政策局「国土数値情報(平成28年沖縄県行政区域データ)」をもとに筆者が編集・加工

◆散策
◆島内の生活を支える「共同スーパー」(伊計島)

共同スーパーとは、地元住民が共同出資者となって出店しているスーパーである。伊計島では約300人しかいないために商店の立地は困難だが、当然住民はスーパーのような最寄り品を手に入れられる環境が必要なので、このようなスーパーが誕生した。店舗面積はコンビニほどだが、中に入り売っている商品を確認すると、地元の野菜はもちろん、靴やシャツといった衣服類や、竿や釣り餌等の釣り用具一式と、一店で全日用品ニーズに応えている伊計島共同スーパーの特徴が表れている。東京で普段使用するスーパーとは規模・品揃えともに大きく異なるものの、最寄り品の提供というスーパーの役割は変わらないはずだ。このように伊計島共同スーパーでは、伊計島に住む人々の生活が垣間見ることができる。



写真1:伊計島共同スーパー

◆サトウキビ畑(伊計島)

沖縄といえば、サトウキビ畑を連想する人も多いと思うが、実際に身長より背の高いサトウキビが壁のように立ち並び、視界を奪われてしまうような経験は簡単に体験できるものではない。しかし、伊計島には沖縄の原風景を想起させるサトウキビ畑がある。


写真2:伊計島東部にあるサトウキビ畑

◆私の気になった、二島の街路の狭さと見通し

私は伊計島と浜比嘉島浜地区の街並みの中でも、街路を注目した。 二島の街路は、共通する「街路の狭さ」と相異なる「道の見通しの良さ悪さ」という性格を持っていた。私はなぜこれら二つの街路が上記の性格を持つようになったのか私なりに考えたので、述べていきたいと思う。


写真3:伊計島の街路

まず「街路の狭さ」については、二島とも街路幅員が普通車のすれ違いが難しいと感じるほどであった。街路幅員がこの広さに設定された理由の一つに、二島は元々本島からの車でのアクセスはできなかったため、車使用に適さない幅員で街路整備が行われたことではないかと考えられる。また、街路幅員が過去と変わっていない現状に至った一因は、車道に沿うように設置されているブロック塀だろうと考えられる。現在東京では震災被害の拡大を防ぐためにブロック塀の除去や生け垣化等が進んでいるが、沖縄では地震は少なく、むしろ台風対策のために、沿道のブロック塀は今も過去と変わらず必要なのである。ただ、このブロック塀は容易に街路幅員拡大ができない一因になっていると思われる。


写真4:浜比嘉島浜地区の街路

次に「道の見通し」について、伊計島の街路は見通し悪く、浜比嘉島の街路は見通しが良いと感じた。これはおそらく街が傾斜地にあるかどうかが関係しているだろう。つまり、伊計島の見通しの悪い街路は、街が傾斜地にあることが関係していそうだ。そもそも伊計島の傾斜地に街ができた理由の一つは、伊計島と隣の宮城島に囲まれた湾に近いため、また、本島のうるま市中心地と一番近い場所だからだと思われ、橋ができる前の名残でありそうだ。うるま市中心地と近いところに街ができる特徴は浜比嘉島だけでなく、平安座島にも表れていた。 上記二つの要因分析は当然不十分であると思うため、ご指摘があれば訂正していただきたい。

◆おわりに

伊計島と浜比嘉島は車で行くことのできるため、比較的容易に離島の生活を実感できる島であり、そこには、本島では味わえない、身近な自然とゆっくりと流れる時間を堪能できる空間があると感じた。 今、交通利便性が向上したことにより、島の都市構造が大きく変わっているタイミングであると思われる。例えば伊計島では、沖縄本島から一番遠いところで海の眺望がよい場所にホテルが進出している等、離島の自然を生かした観光産業が離島に進出してきている。今後意識しないといけないのは、急激な開発は近視眼的な目標をもとに行われがちであり、持続的な開発になりにくいことだ。この地域独自の離島という強みを活かした、漸進的な開発を行ってほしいと思った。

<参考文献>
上江洲敏夫「伊計島小史」(1987)沖縄県立博物館総合調査報告書Y-伊計島- p.9-20 , 沖縄県立博物館(那覇)
當真嗣一「浜比嘉島小史」(1990)沖縄県立博物館総合調査報告書Z-浜比嘉島- p.1-18 , 沖縄県立博物館(那覇)

(文責:増田広樹)