変化し続ける世界の中心、ワシントンDC

◆はじめに
 ワシントンDC(以下DC)はアメリカ合衆国の首都で、面積は177㎢、人口は約70万人の連邦直轄地です。DCはアメリカそして世界の政治の中心として知られていますが、文化や歴史の拠点としての側面も持ちます。本稿では、筆者が住んでいて経験した2006年~2009年と今回訪問した2024年を比較しながら変化し続けるDCを紹介いたします。

◆政治の拠点としてのワシントン
 DCはフランス生まれの建築家であるランファンが1789年に計画した都市であり、議会議事堂やホワイトハウスが丘の上にあることや、斜めの道路が都市を貫いていることからヴェルサイユやパリの影響を受けていることがわかります。そのような計画都市であるDCは、現在では世界のリーダーともいえるアメリカの政治機能が集中している拠点であるため、世界の中心であると表現することもできます。
 今回訪問した政治の施設としては、ホワイトハウスや国防総省の本庁舎であるペンタゴンの見学は外国人の参加が困難であるため、議会議事堂のツアーに参加しました(写真1)。アメリカの公式標語として「多くから作られた一つ」といったフレーズがありますが、議会議事堂には各州の英雄の像が2体ずつ展示されており、アメリカ50州の代表が集う議会らしい装飾が施されていました。この像には近年変化した点があります。それは筆者が住んでいたヴァージニア州の像のうち1体は建国の父ワシントンのままでしたが(写真2)、もう一体のロバート・E・リー将軍の像は2020年に撤去されておりました[1]。撤去の理由としてはリー将軍が南北戦争において南部連合を指揮したため、奴隷制度に関わったとして議会にふさわしくないといった点が考えられます。代わりにバーバラ・ローザ・ジョーンズという公民権運動に従事した女性の像が予定されており、時代の潮流を感じました。

写真1 新古典主義建築であるアメリカ合衆国議会議事堂の外観

写真2 ヴァージニア州生まれであるワシントンの銅像

◆文化と歴史を伝えるナショナルモール
 ナショナルモールとはDCの中心部にある国立公園で、前述の議会議事堂や数々のメモリアルと博物館があります(写真3)。ナショナルモールの目的はアメリカ合衆国国立公園局によるとアメリカの価値観、民主主義、文化を学べる場所であるとしています。代表的なモニュメントとしては、建設時世界で一番高い建物であったワシントン・モニュメントなどがあり、モニュメントとメモリアルを合わせると160個以上がDCにあります。今回DCを訪問した時点では1セント硬貨の裏に描かれているリンカーン・モニュメントで地下に新たな展示室の建設を行っており、モニュメントをそのままの形で保全せず、更新し続けているのが興味深かったです。

写真3 ナショナルモール

 博物館はスミソニアン協会が運営しているものが多く、政府からの援助を受けていることもあり、大半の博物館は入場料無料となっています。博物館で気づいた大きな変化としてはITの活用によって展示品についてより詳細な情報を入手することができたことです。その反面、博物館の展示品に触れることができなくなっているといったコロナ禍などによる変化を感じ、以前は実際に触れることができたアポロ17号が持ち帰った月面の石などの展示が終了していたのは残念でした。
 筆者が以前住んでいた際に存在していなかった文化や歴史的な施設としては2011年に公開された公民権運動の指導者として有名なキング牧師のメモリアル(写真4)と2016年にオープンした国立アフリカ系アメリカ人歴史文化博物館があります。今までのメモリアルや施設は、建国の英雄や戦没者に向けたものが多かったのに対して、今まで軽視されてきたアフリカ系アメリカ人の歴史に関する施設が作られているのは大きな変化であると言えます。また、このような施設には遠足で来ている現地の学生が多かったことから次世代の教育にもこのような変化が反映されていることが感じ取れました。

写真4 マーティン・ルーサー・キング・ジュニア・メモリアル

 DCではまちなみからも歴史や文化を感じることができます。代表例としてはまちを歩いているとすぐに気づく数々の広場です。ランファンの都市思想の一つとして都市の主役は人であるといったものがあり、フランスの囲われた広場をアメリカ風にアレンジして全ての方向から立ち寄れる広場をまちに配置しました。実際に広場を訪れると解放感があり、石碑などからその広場の人物や地域について知ることができて知的好奇心を刺激するまちなみでした(写真5)。

写真5 インディアナ州を記念するインディアナ・プラザ

 もう一つ文化や歴史を感じられる例としてDCとヴァージニア州の州境を流れているポトマック川沿いの桜があります。こちらの桜は日米間の友好の証として1912年に東京の荒川などから輸送されて植えられたものです。太平洋戦争開戦時には桜の木を切る者も現れましたが、戦時中は桜の名称を”Oriental Cherry Trees”と日本の名前を含まないように変更することによって被害を防ぎました。[2]現在では毎年春に日本のような花見大会が開催され、大きな賑わいを見せています。このように友好の証として植えられた桜はDCエリア各地で見られ、筆者が通っていた小学校でも1957年に若く息子を亡くした日本の外交官が校庭に桜を植え、現在でも大切に保たれています。このように異国の文化を積極的に取り入れることが重要なアメリカの文化の一つであると思います。

◆ワシントン郊外のまちなみ
 DCには日本の首都圏と似た概念としてDCに隣接するヴァージニア州やメリーランド州の一部を含んだ地域をワシントン・メトロポリタン・エリアと定めています。DC郊外にも重要な施設が多く、前述のペンタゴンに加え、硫黄島の戦いを元にしていることで有名な海兵隊戦争記念碑(写真6)や戦没者慰霊施設であるアーリントン墓地があります。

写真6 DC郊外にある海兵隊戦争記念碑

 ワシントン郊外にあり筆者が見るのを楽しみにしていたものとして、DCのダウンタウンとDC郊外にあるダレス国際空港を結ぶメトロのシルバーラインがあります(写真7)[]。メトロのシルバーラインは筆者が住んでいた間は地上を走らせるかトンネルを通すかの議論が平行線を辿っており、街中でポスターもたくさん見かけたことから住民の関心は高いと当時は感じていました。そんなシルバーラインですが、最終的には既存の高速道路を拡幅し中央分離帯を走らせる地上案が採用され、2014年に部分的に開業し、2022年には終点のダレス国際空港までの延伸が完了し、路線が開業しました。筆者はダレス空港近辺にある国立航空宇宙博物館スティーブン・F・ウドバー・ヘイジー・センターに向かうためにシルバーラインに実際に乗車してみました。計画段階の状況を見てきたため、通勤や通学の手段として利用されていることを期待していましたが、利用者の大半は空港に向かう人や沿線のショッピングモールが目的の観光客に見え、住民の足としての機能は達成できていないと感じました。その他にもDCの公共交通機関は滞在していた3日間の間で乗車中に2度運休し、遅延も多く、様々な面で課題を抱えているように思えました。

写真7 DCメトロ路線図(シルバーラインの西端の駅がダレス国際空港、DC内は既存の路線と同区間を走っている)

◆おわりに
 15年ぶりにDCを訪れて、公共交通機関の計画や人種差別と闘った人を称えるモニュメントの設立といった点からアメリカの価値観といったものが良い方向にアップデートされているのを感じました。しかし、民主主義を学べる場所であるはずのナショナルモールでは2021年アメリカ合衆国議会議事堂襲撃事件がおき、車中心から公共交通を主体としたライフスタイルへの転換は達成できていないのも現状だと思います。今後アメリカの価値観をどのように更新され、DCがどのように変化していくのか、期待が寄せられます。

(文責・写真:江端吾朗)

◆参考文献
[1] PBS:Confederate Gen. Robert E. Lee statue has been removed from the U.S. Capitol
https://www.pbs.org/newshour/nation/confederate-gen-robert-e-lee-statue-has-been-removed-from-the-u-s-capitol
[2]History:How Washington, D.C. Got Its Cherry Trees
https://www.history.com/news/washingtons-cherry-trees-origins
[3] Washington Metropolitan Area Transit Authority:Welcome to the Silver Line Extension
https://www.wmata.com/rider-guide/silver-line-extension/