淡水 〜国際色豊かなまちなみと水辺の風景〜

◆はじめに
 台北近郊に位置する淡水は、淡水河が台湾海峡に注ぐ河口に広がる港町です。新北市の北西部に位置し、人口約20万人、面積約70km²を有します。美しい水辺と夕陽が調和した景観で知られ、「台湾のヴェネツィア」とも称される人気観光地です。
 町並みの特徴は、異国情緒あふれる西洋建築と伝統的な台湾建築が共存している点にあります。17世紀以降、外国の統治や交易を通じて、宣教師、医師、教育者、外交官、商人など、多様な人々が淡水を訪れました。そのため、淡水のまちなみは要塞や教会、学校といった西洋様式の建物と、寺廟や老街(伝統的な商店街)など中国様式の建物が混在しており、独特の風情を生み出しています。
 近年、淡水河沿いの開発やMRT(台北捷運)という都市鉄道の延伸により、台北市中心部からのアクセスが向上し、レジャー・観光都市としての発展が進んでいます。河岸の遊歩道整備や景観保全の取り組みも強化され、古い街並みの風情と現代的な利便性が両立する住環境が整備されました。こうした取り組みにより、淡水は交易港としての歴史を今に伝えながら、多文化が共存する独自の地域文化を育んでいます。
 以下では、淡水を象徴する建築物やまちなみを紹介します。

図1: 淡水の位置
(OpenStreetMap2)に筆者が補注)

◆紅毛城と淡水の歴史
 淡水の歴史を語る上で欠かせないのが、町の象徴である「紅毛城」です。この要塞は、淡水が国際的な港町として発展する過程で重要な役割を果たし、その変遷を物語る貴重な建築遺産です。
 淡水の歴史は、17世紀初めにスペイン人が進出し、淡水河口の丘の上に要塞「サントドミンゴ城」を築いたことに始まります。その後、1642年にオランダがスペイン勢力を駆逐し、現在の紅毛城の原型となるレンガ造りの要塞を再建しました。「紅毛城」という名称は、当時の台湾住民が西洋人を「紅毛」と呼んでいたことに由来します。
 オランダ統治時代、この要塞は重要な拠点となりましたが、明代には淡水が流刑地となり、城も放棄されました。清朝の支配下では再び軍事拠点として活用されましたが、清末の戦争で敗れたことで淡水は開港し、イギリスが紅毛城を領事館として利用しました。その際、もともと灰色だった城は英国人によって赤く塗られましたが、「紅毛城」の「紅」はもともと建物の色とは関係がありません。
 第二次世界大戦中、日本統治下の台湾では英国領事館が閉鎖されましたが、戦後、英国が再び使用しました。その後、中英断交を経てオーストラリアや米国が管理し、1980年に正式に中華民国へ返還されました。以降、紅毛城は観光地としての価値が見直され、現在では淡水のシンボルとして一般公開されています。
 淡水の市街地を歩いていると、勾配の激しい坂とともに写真1の緑のゲートを見つけることができます。これが紅毛城への入り口です。

写真1: 紅毛城への入り口のゲート

 紅毛城の外周には、写真2のようになっており、かつてこの地に関わりを持った国々の国旗がずらりと並んでいます。その色とりどりの旗が風になびく様子は、紅毛城が歩んできた歴史の重みと、多様な文化の交錯を象徴しています。これらの国旗は、紅毛城がオランダ統治時代から清朝統治、さらには日本統治、そして現在に至るまで、幾度となくその支配者を変えてきた歴史を物語るものであり、この地がいかに重要な役割を果たしてきたのかを静かに伝えています。

写真2: 紅毛城と関係する国々の国旗

 紅毛城に足を踏み入れると、数世紀にわたる歴史の重みが漂っているのを感じます。城内には、写真3のような当時の西洋人をモチーフとした銅像が随所に点在しており、かつてここを守っていたオランダ兵士、外交の場として活用していた英国人、そしてこの地で暮らしていた人々の姿が目に浮かびました。また、牢屋や応接間、大砲(写真4)、往時の面影を残す遺構が数多くあり、過去の暮らしぶりが生々しく伝わってきます。

写真3: 紅毛城内に点在する西洋人の銅像

写真4: 紅毛城の大砲

 観光客として訪れる私たちと、かつてこの城にいた人々の時間が交差するような不思議な感覚を覚えました。紅毛城は幾度となく支配者が変わりながらも、この地に残り続け、時代ごとの物語を見守ってきたのだと実感しました。
 紅毛城の裏手には、「真理大学」という私立大学が隣接しています。この大学の起源は、カナダ人宣教師ジョージ・レスリー・マッケイ博士が1882年に設立した西洋式教育機関に遡ります。長い歴史を経て、1999年に現在の「真理大学」という名称に改名されました。キャンパス内の様子を写したものが写真5です。筆者が訪れたのは2月末ということもあり、キャンパス内は静かで、学生の姿は少なく感じました。しかし、学内を散策すると、歴史ある建物と現代的な施設が調和し、学びの場としての風格が漂っているのを実感しました。

写真5: 紅毛城に隣接する真理大学のキャンパス

◆淡水老街と河岸エリア
 淡水駅を出てすぐの場所には、写真6の淡水老街(淡水古街)が広がっています。歴史を感じさせる商店や屋台が並ぶ賑やかな通りで、魚丸湯(つみれスープ)や鐵蛋(鉄卵)、阿給(あげ、春雨入り厚揚げ)といった淡水名物を味わうことができます。古い町並みを生かした伝統的な建物と、現代的なカフェやショップが融合し、レトロな雰囲気と新しさが共存する独特のまちなみが形成されています。

写真6: 淡水老街のまちなみ

老街のメインストリートから小径に出ると、美しい河岸エリアが広がります。老街の昔ながらの建造物からなる「囲まれ感」のあるまちなみから打って変わり、写真7のような開放的で緑と水に恵まれた自然豊かな風景が広がります。わずか十数メートルの距離を歩いただけで、まちなみの雰囲気が大きく変わる点が印象的でした。

写真7: 開放的な河岸エリア

 「台湾のヴェネツィア」という前評判もあり、探訪前は観光地としてもイメージが強かったため、河岸エリアは観光地としての景観を楽しむ人が多いと想像していました。しかし、訪れてみると地域住民の日常生活のための空間が形成されていることに驚きを覚えました。たとえば、河沿いの施設には遊技場やゲームセンターが多く出店し、写真8のように遊戯場で遊ぶ子供たちの姿が見られます。他にも、ダンスをする人、音楽を奏でる人、釣りを楽しむ人など、地域の日常生活の様子が垣間見えます。この場所が単なる観光スポットではなく、地域住民の生活に根ざしたアクティビティの場としても機能していることが分かりました。

写真8: 遊戯場で遊ぶ子供たちの様子

 川沿いの遊歩道を歩くと、景観の多様性もこのエリアの魅力の一つであることに気づきます。淡水駅を出た直後は、写真9の対岸に広がる豊かな自然を一望できる親水公園のような景色が広がります。そこから北へ歩を進めると、写真10の歴史ある建物が姿を現し、地域の暮らしの息吹を感じさせます。その先には、写真11の水辺を望むテラス席を備えたカフェやレストランが並ぶ通りがあり、リラックスした雰囲気が漂います。さらに進むと、写真12の榕樹(ガジュマル)が屋根のように広がる道や、写真13の船着場など、歩くごとに異なる景色が展開され、散策の楽しさを一層引き立てます。

写真9: 淡水河の対岸に広がる雄大な山

写真10: 商店と淡水河に面する遊歩道

写真11: 淡水河を見渡せるカフェのバルコニー

写真12: 榕樹(ガジュマル)に覆われた遊歩道

写真13: 船着場

◆おわりに
 淡水は、台湾の歴史と文化が色濃く刻まれた町です。紅毛城や淡水老街、河岸エリアを歩くと、異なる時代の建築や風景が調和しながら共存していることに気づきます。交易港として発展し、多くの国と関わりながら独自の文化を築いてきたこの町は、今もなお活気に満ち、訪れる人々を魅了し続けています。
 歴史を感じさせる建物や街並みだけでなく、地元の人々の暮らしや風景が溶け合うことで、淡水は単なる観光地ではなく、時代を超えて生き続ける町であることを実感しました。過去と現在が共存するこの町は、これからも変わらぬ魅力を持ち続け、多くの人々に愛される場所であり続けるでしょう。


(文責・写真: 山口颯斗)

◆参考文献
1) 新北市政府主計處「新北市統計資料庫」 (https://oas.bas.ntpc.gov.tw/BAS/pxweb/dialog/statfile9_n.asp)
2) OpenStreetMap
 (https://www.openstreetmap.org/copyright)
3) 台北市政府観光伝播局「台北MRT」
 (https://www.travel.taipei/ja/information/mrt)
4) 交通部観光署「淡水紅毛城」
 (https://jp.taiwan.net.tw/m1.aspx?sNo=0003091&id=2129)
5) 中華民国文化部「台湾の潜在的な世界遺産」
 (https://www.moc.gov.tw/jp/News_Content2.aspx?n=322&s=5472)
6) 台湾留学センター「真理大学」
 (https://tw-ryugaku.com/university/aletheiauni/)