飫肥 –城下町の歴史を伝える「小京都」–

◆はじめに
 日南市は宮崎県の最南部に位置する人口約5万人の都市です。温暖な気候に恵まれ、東に日向灘、西に鰐塚山地と豊かな自然を有することから、みかん、杉、マグロ・カツオといった農林水産業が市の基幹産業となっています。
 今回ご紹介するまち、飫肥(おび)は、その日南市のおおむね中心部に位置する地区です。飫肥は琉球・東アジアとの交易拠点であった油津港や外浦港に隣接することから、交通の要衝として重要な地でした。こうした地理的重要性から、室町時代から戦国時代にかけては島津氏と伊東氏との間で同地の支配をめぐる争いが長く続きました。しかしながら、1587年、豊臣秀吉によって伊東祐兵が飫肥の地を与えられて以降は、約280年にわたって伊東氏が治める飫肥藩5万1千石の城下町として栄え、現在でも当時建設された町割りや建築物が数多く現存しています。こうした歴史から、飫肥は1977年に九州で初めて重要伝統的建造物群保存地区に指定されており、当時の景観をよく保つ「九州の『小京都』」として市を代表する観光地となっています。
 本記事では、飫肥の歴史とまちなみの概要、そして歴史的な街並みを保存する取り組みについて紹介します。

◆飫肥城下町
 飫肥の城下町は、飫肥城の南を流れる酒谷川に三方を囲まれた東西約850m、南北約900mの範囲であり、江戸時代前期の街路がほとんどそのまま残されています。飫肥城に近い区画から上級家臣、中級家臣、町屋、下級家臣の屋敷地となっており、現在重要伝統的建造物群保存地区として指定されている地区は、そのうち約19.8haの領域です(写真1)。

写真1:飫肥城下町の案内図

 飫肥城下町の景観を形作る最も大きな特徴は、街路に面した石垣の存在でしょう。飫肥城や城下町の武家屋敷の石垣に使用されているのは、周辺で産出される「飫肥石」と呼ばれる凝灰岩です(写真2)。飫肥石は、約2万7千年前に起こった姶良火山大噴火による堆積物(シラス)が固まってできた石であり、比較的柔らかく加工しやすいため、石垣といった建物の外構だけでなく、墓石や石碑の材料としても広く使われています。こうした石垣は地区内の各所にみられ、通りの両端に延びる石垣の存在がまちなみに重厚感を与えています。

写真2:飫肥城の石垣

 飫肥城大手門から東に延びる横馬場通り(武家屋敷通り)と大手門から南に延びる大手門通りなど、地区内の街路沿いには武家屋敷や豪商屋敷などが残り、建物外構はその格式に応じて多様性に富んでいます(写真3,4)。実際に通りを歩いていくと、高さ・石垣の積み方・塀や門の有無・生垣の有無など、屋敷によってさまざまであることがわかります。

写真3:横馬場通り

写真4:大手門通り

 中でも石垣の多様性は飫肥城下町の大きな特徴です。「飫肥積み」と呼ばれる独特の積み方をはじめとして多種多様な積み方がみられ、その違いを見比べてみるのも興味深いです。こうした石垣の上にお茶の木などの生垣が植えられたものが、飫肥城下町における典型的な景観となっています。

◆城下町の保存事業
 ここからは、飫肥の歴史的なまちなみを保存する取り組みについて紹介します。
 1974年に始まった飫肥城復元事業では、飫肥城の大手門の復元や歴史資料館の建設などが行われました(写真5)。こうした建造物や施設は、現在でも城下町の代表的な観光スポットとなっています。また、この事業の特筆すべき点として、事業費の多くが市民の募金によって賄われた点が挙げられます。

写真5:飫肥城大手門(写真中央)

 1977年に重要伝統的建造物群保存地区の指定を受けて以降、建造物の修理や修景が数多く行われてきました。また、JR飫肥駅と飫肥城下町とを結ぶ本町商人通り(国道222号線)では、昭和50年代に行われた拡幅工事にあたり、地元の商店会が中心となって、商店街の意匠について、日本風に統一する、軒の高さを合わせるなどといった申し合わせを取り決めるとともに、特産の飫肥杉を使った街灯やプランターの設置など城下町にふさわしい和風の商店街の整備が行われました(写真6)。こうした取り組みに加えて、本町商人通り、大手門通り、横馬場通りなどいくつかの街路では電線地中化事業が行われており、より美しい城下町の雰囲気を感じながら歩くことができます。

写真6:本町商人通り(国道222号)

◆おわりに
 本記事では、飫肥の歴史的なまちなみとその保存・活用の取り組みについて紹介しました。重要伝統的建造物群保存地区の指定、飫肥城復元事業、本町商店通りの拡幅といった事業が同時期に行われたこともあり、歴史的な景観を生かすまちづくりが市民と一体となって進められてきたことがわかります。現在でも、商店街に観光客を呼び込むための施策として、地元の特産品などと引き換えしながら、施設や町並みを楽しめる「飫肥(おび)城下町食べあるき・町あるき」事業が行われるなど、活発な取り組みがなされています。
 一方、近年の飫肥は、高齢化や世代交代により空き家・空き地が増加し、歴史的価値の高い建造物についても保存・改修が行われないなど、歴史的な街並みの維持・管理の面で大きな課題に直面しています。これを受け、空き家を改修して宿泊施設などとして転換するなど、積極的な活用を目指すまちづくりが進められています。
 「小京都」と称される歴史的な街並みは全国に数多く存在していますが、こうした課題は共通するものでしょう。歴史的資源の保存・活用への先進的な施策を行ってきた飫肥の今後の取り組みに注目していきたいところです。

(文責・写真:稲垣遥大)

◆参考文献
・国土交通省. (1987). 本町商人通りの街並(いきいきとした楽しい街並み). https://www.mlit.go.jp/sogoseisaku/region/tedukuri/pdf/Part2_s62/2-89.pdf
・中心市街地活性化協議会支援センター. (2014). 「飫肥(おび)城下町食べあるき・町あるき」事業で観光客を商店街へ呼び込む! . https://machi.smrj.go.jp/machi/public/example/141010obi.html
・日南市. (2022). 日南市飫肥(宮崎県) . https://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkazai/shokai/hozonchiku/pdf/93738601_118.pdf
・日南市. (2023). 城下町飫肥 景観計画. https://www.city.nichinan.lg.jp/soshikikarasagasu/miraisoseika/2/4/1/1/927.html
・日南市. (2023). 日南市歴史的風致維持向上計画. https://www.city.nichinan.lg.jp/soshikikarasagasu/shogaigakushuka/2/786.html
・日南市. (2023). 日南市飫肥伝統的建造物群保存地区. https://www.city.nichinan.lg.jp/soshikikarasagasu/shogaigakushuka/2/817.html
・飫肥城下町保存会. (2023). 九州の小京都「飫肥」. https://obijyo.com/