鎌倉

鎌倉は三方を小高い山、南面を海に囲まれた直径4キロほどの街です。市内には新石器時代の住居跡なども多く見られ、 古くから人が住み着いていたようですが、開けだしたのは1063年に石清水八幡宮が勧請され、鎌倉郷由比に八幡宮若宮が 造営された頃からのようです。その後、鎌倉幕府が開かれ、そして幕府が滅びた後も関東管領の居住地として栄えましたが、 戦国時代に入り小田原北条氏も滅びると、寂れた一寒村と化してしまいました。江戸時代には訪れる人もかなりいたようで すが、現代の鎌倉ができ始めたのは明治になってからのようです。

昭和初期には川端康成らが別荘を構えた他、高度経済成長期には高級住宅地街へと変貌しました。そのため、1966年に奈良 や京都と共に、「古都における歴史的風土の保存に関する特別措置法」が制定され、古都の景観が守られるようになりまし た。また、鎌倉市では全市域の55.5%が風致地区に指定されていたり、「鎌倉市都市景観条例」を定めたりと、法制度の面 から古都の景観の保護に努めています。

こうした取り組みのひとつとして、高さ制限が挙げられます。市内の風致地区ではその種別によって8m以下、10m以下、1 5m以下、というように建築物の許可基準が設けられています。また、風致地区に指定されていない地区でも行政指導により、 高さが抑制されている地区もあります。例えば旧市街地の若宮大路付近では、周囲の歴史的風土が望見できるよう、行政指導 により、建築物の高さは15mに抑制されていいます。

(写真1)三の鳥居前(鶴岡八幡宮の入口)から南方を見た

(写真2)二の鳥居前から北方を見た

(写真3)海岸から300mほどの地点にある集合住宅(右)簡易裁判所(中央)など

若宮大路を挟んで東西に建っている建築物は4階建て(15m)以下に抑えられています。そのことによって、 周囲の歴史的風土への視界を確保すると同時に、メインストリートとして連続性のある景観を作り出しています。 これは鶴岡八幡宮周辺に限られたことではなく、写真3の集合住宅など、2キロ以上続く若宮大路の終点、相模湾に 注ぐあたりまで、若宮大路に面している建築物に関してはほぼ全てが15m以下に抑えられており、地区一体となった景 観保護への関心の高さが見受けられます。

(写真4)昭和初期からの伝統的な建築物(左)と新しい建築物(右)。中央には現在も使用されている運搬用トロッコのレールもある。

写真4の左側の建物は伝統的な出桁造りの店構えが特徴的な、昭和2年に建てられたもので、国の登録有形文化財にも指定されている 建築物です。若宮大路にはこうした歴史ある建築物も多く残されている一方で、写真4の右側の建物のように新しい建築物も多いです。 こうした建築物も高さ制限はもちろんのこと、外観のデザインも古都の雰囲気を壊さないような落ち着いたデザインとなっており、新 しい建築物と伝統的な古い建築物とが融合して、魅力的なまちなみを形成しています。

(写真5)二の鳥居から東を眺める

ただ、近年、やはり鎌倉にも開発の波は押し寄せてきており、新市街地である大船駅周辺では中高層の集合住宅も集積していますし、 行政側としても大船や深沢では宅地化を進めてもいます。市の人口確保や人口構成のバランスを保つためにもこうした変化は必要な ものではありますが、できるだけ景観には配慮した開発を行っていってもらいたいものです。若宮大路周辺では高さ制限が行われてい るため、写真5のように鎌倉の地理的特徴でもある、市街地を囲むように存在する丘陵地への視界が開けています。

こうした古都の自然環境を守るだけでなく、それに市街地からでも親しむことのできるまちなみや環境を作ること、そして古都の香り や品格のあるまちなみを作ることこれが鎌倉の都市景観条例などの理念のひとつですが、現在の鎌倉はそうしたものが十分に感じられ るまちであるといえると思います。こうしたまちなみづくりを続けていくためにも、行政、や民間の開発会社、住民ひとりひとりの意 識をこれからも高い状態で保ち、いつまでも古都の香りを感じられる鎌倉であってほしい、今回の鎌倉探訪でそうした思いを強く持ちました。 (文責:岸本真一)