高山市の家並みを高台から見下ろす ―東山魁夷の「年暮る」との類似性―

◆東山魁夷の「年暮る」

東山魁夷の「年暮る」という日本画をご存知だろうか.
1968年に発表された,京都の都ホテルより鴨川沿いの家並みを描いた名作である.年が暮れていくさまが,深々と降り積もる雪と家屋の灯により,情緒深く描かれている.雪と灯とともに重要な演出は町家の連坦による家並みである.当時の京都における間口が狭く奥行が長い町家の集合は,共通の屋根勾配,共通の意匠によって「年暮る」の情緒に規則性を与えていた.ところが,今日では,多くの町家は現代建築に建替えられてしまい,屋根勾配や意匠の共通さは失われてしまっている.

◆高山市の古い街並 ―三町伝統的建造物群保存地区―

今日の京都において,東山魁夷の「年暮る」に描かれている家並みを見つけることはできない.ところが,飛騨高山では,高台に立地する都ホテル,鴨川と背景の山々,そして町家の集合に対応するものを見つけることができる.櫻山八幡宮の東側にある北山公園,宮川と背景の山々,そして三町伝統的建造物群保存地区である.
伝統的建造物群保存地区は文化財保護法で規定される地区であり,面的な広がりとして保存するための制度である.住民が暮らしながら伝統的建造物群を保存することが前提となっており,地元住民が市町村と協力の上で主体的に保存活動を行っている.外観の変更は制約がある一方,建物内部の改装などは比較的自由に行うことができる.
三町伝統的建造物群保存地区(以降,「保存地区」と記す.)は,高山市中心部の宮川左岸に連坦する.1979年に指定され,今日では約11haが指定されている.写真1は,保存地区の南側にある上三之町の街路景観を撮影したものである.他方,写真2と写真3は,安川通りの街路景観と保存地区に隣接する敷地に立地する現代建築をそれぞれ撮影したものである.保存地区では,写真1のような町家が多数面的に保存されている反面,写真2や写真3のように中層の現代建築が立ち並んでいる.これらの敷地はそれぞれ商業地域と第一種住居地域に含まれる.商業地域は安川通り沿いに帯状に指定されており,建築法規上は5階建ての中層建築物の立地が可能である.第一種住居地域においても,建築法規上は3階建ての建築物の立地が可能である.


写真1:上三之町の町家と街路景観



写真2:安川通りの街路景観



写真3:保存地区に隣接する敷地に立地する中層建築物

東山魁夷の「年暮る」を高山の古い家並みに見出す

このような家並みが連坦する様子を北山公園の高台から眺望してみよう.写真4は,北山公園の高台から保存地区を撮影したものである.撮影時期は2017年9月であり,降雪の季節ではない.保存地区に指定され,町家が面的に保存されている.このため,間口が狭く奥行が長い町家の集合,共通の屋根勾配,共通の意匠によって「年暮る」の規則性を見出すことができよう.その一方で,安川通り沿いや保存地区における中層の現代建築物が規則性のなかに入り交じっている様子もわかる.
歴史的な名画の舞台,あるいはそれに似た景観を形成する空間は,それだけで存在価値がある.前述したように,伝統的建造物群保存地区という制度は,地元住民と市町村との主体的な協力の上で実現しているものである.その結果としての存在価値であることを留意すべきであろう.今後,こうした主体的な協力が徐々に失われ,写真2や写真3のような中層の現代建築が徐々に立地すれば,「年暮る」の規則性は徐々に失われてしまうかもしれない.


写真4:北山公園の高台から撮影した保存地区

本稿では,高山の古い街並の景観を「鳥の目」で眺めるとともに,景観の構成要素である町家や現代建築を「人の目」で見てみた.景観を議論するうえで,両者の目線をもつことは互いに欠けている部分を補うことができる点において,重要であるといえよう.後者は意識せずとも実践できる反面,前者を実践することは難しい.「年暮る」のような名画の存在は,「鳥の目」を補うことができる点においても,貴重な作品であると思われる.

◆参考文献
高山都市計画図(平成27年3月時点)
URL:
http://www2.city.takayama.lg.jp/temp/10000toshikeikakuzu.pdf
(閲覧日:2017年9月18日)

(文責:薄井宏行)