写真11 下井戸坂
◆おわりに
本記事では、常陸太田市の歴史的な市街地である鯨ヶ丘の町並みを紹介した。かつてこの地は名実ともに太田の中心であったが、現在では市の商業・業務の中心は低地の市役所周辺に移ったと言えるかもしれない。しかし、中心機能が丘の下に移ったことで、開発や更新の圧力が抑えられ、歴史的な町並みが現代まで維持されたとも考えられる。今では丘の周囲も市街化が進んでいるが、町の三方を囲む崖線は、都市空間を区切ることで、丘の上を特別な空間として際立たせている。また、「鯨」の雄大で穏やかなイメージとも相俟って、鯨ヶ丘という名に相応しい町並みであると感じられた。
懸念として、写真12のように損傷の激しい建物も塩横町近辺で複数見られた。Googleストリートビューで確認したところ、写真の建物の大棟部の損傷は10年以上前から見られ、東日本大震災での損傷が現在まで修復されていない可能性が高い。また、郷土資料館に程近い十王坂上の空き地にはかつて蔵造りの建物があり、郷土資料館分館として利用されていた。しかし、郷土資料館でお話を伺ったところ、東日本大震災で大きく損傷し、復旧は叶わずそのまま解体に至ったとのことであった。
鯨ヶ丘では、2006(平成18)年に常陸太田市による景観計画の策定を念頭に置いた景観まちづくりワークショップが茨城県主導で行われたが、2025年現在まで策定には至っていない。このことが、町並み保存にどの程度影響しているかは明らかではないが、他地域では景観計画の策定と景観行政団体への移行を契機に、自治体が景観形成に責任を持つことが明確になり、修景助成制度の導入に繋がった事例もある[5]。歴史的建造物の保存については、店舗等の収益性のある活用による保存が重視されることが多い。しかし、店舗利用が見込まれない住宅についても、所有者の負担に任せるのではなく、周囲の町並みへの寄与を評価し、補修や修景に対する公的支援を検討する必要があるだろう。
今後、鯨ヶ丘の中心部に残る町家や蔵がさらに失われれば、町並みにとっては大きな損失となる。厳しい状態であると見られるが、建物が適切に修復され、末永く町並みが維持されることを期待したい。