御坊市御坊地区 〜寺内町としての歴史とまちなみ〜

◆はじめに

御坊地区は和歌山県の御坊市において紀州鉄道西御坊駅の東部に位置します。人口は約7,000人(平成27年国勢調査)と市内人口最大の地区です。住宅地としての性格が強い御坊地区ですが、主に大正・昭和時代に建設された住宅や店舗が至る所に残っており、写真1のように歴史的景観を有しています。市は2004年に策定した都市計画マスタープランでこの地区を歴史景観保全検討地区に指定しており、歴史的建造物の保全を目指しています。今回は御坊地区に潜む寺内町としての歴史と、その活用という視点から述べていこうと思います。

写真1:御坊地区の歴史的景観

◆寺中心のまちなみ

御坊という名前はこの地に建立された寺院の日高坊舎(現在の日高別院)が「御坊」と呼ばれていたことに由来します。御坊地区において日高別院の存在は大きく、江戸時代には日高別院の寺内町として発展しました。当時は紀伊街道や比井街道に近いという地の利もあり、御坊は交通の要所として、日高川河口を活かした廻船業によって商業都市として大いに栄えていました。現在のまちなみを見ても、日高別院が面している東町通りには木造本瓦葺きの歴史的建造物が多く残されており、中でも酒造店(写真2)や金物店など商店の割合が高くなっています。御坊は商業都市として日高別院を中心とした都市構造であったことが読み取れます。日高別院は1998年に御坊市の文化財に指定されましたがその境内には今でも幼稚園が存在しており、人々の生活に組み込まれた場所となっています。

写真2:御坊地区の歴史的景観

◆寺内町にルーツを持つ建造物

御坊地区の歴史的建造物には寺内町としての御坊にルーツを持つものが何点か存在します。代表的な例が、共に文化財に指定されている堀川屋野村や志賀屋川瀬家です。堀川屋野村は醤油や味噌の醸造販売を江戸時代から現在まで続けている老舗ですが、元々は廻船問屋を営む業者の一つでした。しかし、1756年に蝦夷への漂流を経験してから廻船業をたたみ、醤油や味噌の醸造業を主な生業とするようになりました。志賀屋川瀬家は江戸時代に建てられた住宅ですが、これも元々は寺内町における志賀屋という蝋燭問屋でした。現在残る建造物やまちなみに、商業都市としての寺内町の時代が大きく影響を与えていると分かります。

◆歴史の活用

ここまで御坊地区に潜む寺内町としての歴史について述べてきました。しかし、この地区の建造物が文化財に指定されたのは主に2014年前後であり、御坊の歴史は近年になってはじめて評価されるようになったとも言えます。今後、この歴史を地域としてどのように活用できるでしょうか。観光と居住という二つの点から考えてみようと思います。観光について考えると、御坊には前述のようにまちなみや建造物など寺内町としての時代を感じられる場所がありますが、近年建てられた現代的な住宅や空き地、空き家も散見されるため、まちなみの統一感は弱くなっています。ファサードを揃えることでより歴史が感じられるまちなみとなり、観光地としての魅力を向上させられるのではないでしょうか。一方、御坊が住宅地としての性格が強い地区であることを踏まえ、居住について考えてみると、御坊は歴史的建物である日高別院や堀川屋野村などが住民の生活に根付いた場所であるという点があります。これは生活を通じて御坊の寺内町としての歴史を身近に感じるという事であり、結果として住民が地域に愛着を感じ、御坊地区のコミュニティの活性化に役立つと考えられます。

◆おわりに

御坊地区は近代的な住宅地と歴史的な建造物群が混ざり合った空間になっており、その点からまちなみを見ても面白いですが、寺内町であることを頭に入れて散策するとまた新しい発見があると思います。各建築の背景も様々で、学べば学ぶほど奥深さが感じられる地区ではないでしょうか。

◆参考文献

・御坊市都市計画マスタープラン・御坊市ホームページ 市の文化財(建造物)http://www.city.gobo.wakayama.jp/kanko/bunkarekisi/bunka/ahibunka/kenzoubutu/index.html ・御坊市の観光 寺内町散策マップhttp://www.city.gobo.wakayama.jp/kankojoho/oyakudachi/pamphlet/1395192878615.html

(文責:和田)