富士山と生きる街,下吉田

◆富士山に続く道

日本最高峰の山・富士山は18世紀初頭まで約10万年にわたって噴火を繰り返しており,周辺に住む人々は,溶岩流・火砕流・火山灰など火山活動の被害を受け続けてきた.その一方で,山中湖・河口湖など水資源にも恵まれた溶岩台地の上には,人々が自然現象を巧みに利用し文化を発達させた歴史がある. 
山梨県東南部に位置する富士吉田も例外ではない.市域の南方に位置する富士山に向かって緩やかに登っていく傾斜地がまちの大半を占めており,傾きに沿って並行に流れる数本の河川の脇に,富士講の宿坊である御師の家が並ぶ富士みちのまちなみは,富士山麓の象徴的な光景の一つである(写真1・2).


写真1:車道を跨いで立つ金鳥居は富士山頂に続く吉田口登山道の初めの門である.


写真2:毎年8月には富士みちに沿って松明を燃やす奇祭・吉田の火祭りが行われる.

◆信仰からパブリックスペースへ

この御師の家をはじめ,金鳥居や北口本宮冨士浅間神社といった富士信仰関係の場所が集まる上吉田エリア,富士急ハイランドや河口湖などの周辺レジャー施設が,富士吉田の主な観光資源だった.しかし近年,「桜・富士山・五重の塔」を一望できる新倉富士浅間神社(写真3)の写真がSNSで話題になったことをきっかけに,前述の富士みちや昭和レトロな街並みが残る飲み屋街・西裏と合わせて,フォトジェニックなまちとして多くのインバウンド客を惹きつけている.
 富士山を神格化した浅間大神や木花開耶姫を祭る神社である浅間神社は,市内の各所に存在し,公園や広場が比較的少ない富士吉田において広大で緑豊かな敷地は貴重なパブリックスペースとなっている.富士みちの入り口脇に位置する小室浅間神社(写真4)では,まちの特産品である機織の廃材を販売するフリーマーケットが定期的に開催され,流鏑馬の神馬舎周辺に置かれたベンチでは参拝を終えた人々が佇む.


写真3:「富士山・桜・五重の塔」美しい三角構造はミシュランガイドの表紙にもなっている.


写真4:小室浅間神社は機織業者が集まる秋祭り・ハタフェスでもメイン会場として使われる.

◆富士山と生きる家

富士山との共生は公共空間だけでなく私的空間・住宅にも見つけることができる.まちの玄関口である下吉田駅の駅前広場には,溶岩樹形を模した庭園が自治会の管理によって保存されているが,一部の一軒家では同じように溶岩石を塀の装飾として使っている(写真5).富士山に向かう南側に広いテラスと外階段を設けた住宅も多く,富士山の眺望と共に外部空間を楽しみながら暮らす地域の生活スタイルが現れている(写真6).


写真5:下吉田エリアの溶岩の大半は西暦937年の剣丸尾溶岩流のものである.


写真6:日射を入れるためテラスは南に設けられることが多いが,富士吉田ではサイズが大きい.

(写真撮影・文責:塩崎洸)