講演+インタビューシリーズ『ライフスタイルを見る視点』



芹沢俊介さんのお話を伺って



 建築学科には設計演習というのがあるが、どういう設計課題が学生のクリエイティヴィティを刺激しやすいかという点はなかなかに悩ましい。今回の芹沢さんの話の骨になっていた「脱施設・脱家族」、「安心・安全・安定的に自分が自分でいて良い空間」という概念は、大いに学生の建築的なイメージを刺激すると直感した。機会があれば、是非この概念を用いた設計課題を具体化してみたいと思う。住宅の設計者や住宅メーカー、工務店の人も、この概念に空間的な形態を与えることを想像してみると面白いと思う。
さて、'68年から文芸批評家としての道を歩み始めた芹沢さんは、'70年代に入ってから家族に関する思考を積み重ねるようになり、'77年の「戦後社会の性と家族」(白川書院)を皮切りに多くの家族論に関する書物を著してこられた。その中で、90年代に入るころには一旦家族の行方が見えてしまったと感じたが、その後養護施設や介護施設の人々と接するようになってから、家族の行方が見えてしまったように思えたのは、それまで平均的な家族の現在だけを考えていたからだと気付いたという。今では、平均的な家族の現在からではなく、先端的な現象から家族の行方を考えていらっしゃる。
この経緯自体、家族の器としての住宅に関する思考にもあてはまるように思う。平均的な○○というものが怪しく思えてきた時、何をよりどころに思考を進めるかは、多くの分野に共通する難問である。この難しい問いに対する芹沢さんの答えとそれについての確信を知ることができたことは、少なくとも私にとっては大きかった。
今回はその思考の経過をじっくりとお聞きすることができた訳だが、やはりお話の中に繰り返し出てきた二つの概念が大切なものだと思う。一つは「脱施設・脱家族」。今一つは「安心・安全・安定」だ。前々回の西川先生の話の中に、これからは家族ではなく個人、ただしその個人はかつての家父長のような「堂々たる個人」ではなく「弱い個人」だという主旨の話があったが、その「弱い個人」に対応し、それを空間的なイメージにつなげていくための概念として捉えたいと私は思う。
松村秀一



 このシリーズで講師のお話をうかがって毎回感じるのは,人の思想・活動の背景と文脈である。今回も,芹沢さんが2つの闘争の狭間の世代であり,社会問題に浮かびあがるずっと以前に,自分の問題として家族論を考え始めたこと。一度は家族の行方がみえてしまっていたのが,オウム事件後,養護と介護の問題とともに再び家族論が浮かびあがってきたことなど,思考が時代状況との密接な関係の中で生み出されたきたことを理解することができた。
建築の計画の世界だけでなく,思想・評論の世界でも「平均的な家族に焦点をあてていた」という認識・反省があることは少し驚きであった。おそらく西川先生のいわれる日本の近代化のための枠組みの強固さによるのだろう。
そして何よりも「施設を越えた施設」「家族を越えた家族」という方向性が多くの領域で共有されていること,そのあり方についてポジティブに考え始めた人々が―芹沢さん自身も含めて―同時多発的に居るのだということを,あらためて確認することができた。建築分野の人間としては,その言葉をファッションとして消費してしまうことを注意深く避けつつ,それがどのような姿になりうるのかを構想・提案していかなければならないだろう。
ちょうど今,大学2年生の設計製図で「住宅」の課題が進行中なのだが,女子学生は家族設定としてグループリビングを選ぶ場合が多い。「何故その形式なのか」「そこでどのような生活が営まれるのか」という問いに対して,必ずしもはっきりした回答がかえってくるわけではないのだが,彼女たちも直感的に標準家族でないものにリアリティを感じているのだろう。
鈴木毅



 芹沢さんの仕事は表現者である。社会に対する批評である。ご自身がおっしゃるには,批評は生きたものに対して自分の体をくぐらせた言葉であり,その点が研究との相違点だという。このセリフに私は少しドキッとした。私は一応研究者の端くれであるが,自分の体をくぐらせることが多い。データの収集や分析プロセスは客観性が命だと思う。しかし,研究の動機は研究者の主観から始まると思っている。また,論文のタイプや分野にもよるが,まとめの中に研究者の主張が全く感じられない論文はどうも好きになれない。もっとも,芹沢さんがおっしゃった真意は,立派な研究をしていても社会に対して発言をしない多くの研究者に対する皮肉であったのかもしれない。
さて,芹沢さんの批評にはハッキリとしたスタイルが読みとれる。研究といってもいいほど,数多くの生々しいデータをもとにして組み立てられていること。それと,芹沢さん特有の切り込み方として,何となく私たちが思っている標準や普通という観念を完全に頭から捨て去ってから議論をはじめるということである。言葉の端々に出てくる「安心・安全・安定」というキーワードは,もはや日本のどこを探しても普通が存在しなくなったという確信から出てくる言葉なのだろう。言うまでもなく「安心・安全・安定」は人間が生きていく上で一番必要な条件である。これは,他人や社会から一方的に与えられるものではないが,自信を失った今の日本人にとって,もはや個人のレベルではどんなに頑張っても獲得できないもののように思えた。
西田徹



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