講演+インタビューシリーズ『ライフスタイルを見る視点』


8. まとめ


空き家から誰にでもひらかれた場へ

 災難続きで今回は変則な取材になりました。

 房総半島南部に位置する館山の空き家だった茅葺民家に、岡部明子さん達が10年以上に亘って手を加え、使い続けてきた「ゴンジロウ」。私はたまたまその初期から何度か訪れていましたが、ここ数年はご無沙汰していましたので、その間の変わりようを見てみたいと思っていましたし、とても興味深い事例なので、この連載を一緒に続けてきた鈴木毅さんと佐藤考一さんには是非見てほしいとも考えていました。そこで、2019年の秋に岡部さんと一旦お約束をしたのですが、取材予定日の直前に房総半島は非常に強い台風に襲われ、あちらこちらで大きな被害があり、取材は2020年に延期することにしたのです。ところが、今度はコロナ禍という予想外の事態で、訪問自体は少し様子を見てからということにあいなりました。ですので、先ずはオンライン会議方式で岡部さんのインタヴューをしておこうということになったのです。本稿を執筆している時点で、まだゴンジロウには行けないままでいます。ただ、読まれておわかり頂けるように、写真等も多く見せて頂きましたし、かえってじっくり岡部さんの考えを聞くことができて、その点では、先ずオンラインでお話を伺うというのは案外良かったかもしれません。

 さて、前置きが長くなりましたが、私がゴンジロウを面白いと思ったのは、「共感」を信じないと明言する岡部さんのまわりに、どういう訳だか周辺の住民の方々や学生さんや遠隔地の職人さん達が、入れ替わり立ち替わり集まってきて、空き家が人々にひらかれた場に姿を変えてきたというその事実です。

 空き家や空きビルを活用してまちづくりを進める人々の中には、まちの人々の「共感」をよすがにしている方が少なくないと思いますし、その「共感」があるからこそリノベーションまちづくりが前に進むのだと思わせる事例も決して少なくありません。ところが、「共感」を信じないと明言する人が中心になって、空き家を人々にひらかれた場にし得ていることに、妙な言い方ですが、「共感」してしまうのです。その背景には、仲間やコミュニティに属するかどうかは関係なく、誰にでもひらかれた場を指向する岡部さんの考えがあるようです。

 今回のお話で面白かったことはいくつもありますが、もう一つだけ挙げるとすると、ゴンジロウの話をもう何度も岡部さんから聞きましたが、その都度テーマが違っているということです。「考えるためにゴンジロウを続けている」という岡部さんの動機からすれば、考えているテーマが変わっていくのはある意味当然のことのようですが、「空き家は社会の外」というテーマ、或いは「所有権の問い直し」というテーマは、今回が初耳でした(ライフスタイル考現行「社会システムの〈外〉として空き家(次回更新予定)」もご覧下さい)。

 南米やアジアのスラムを研究対象にしている岡部さんならではのテーマ設定だと思います。スラムは「インフォーマル居住地」とも言われるように、所有権とは無関係に成立していることが多いですし、「社会の外」にあるという表現が当て嵌まります。岡部さんは、それと同じ性質を日本の空き家に見ようとしているのです。その思考が何に繋がっていくのか、私にはまだわかりませんが、ラディカルな思想に繋がる予感を持つには十分な岡部さんの話ぶりではありました。とても楽しみです。

(松村秀一)



 岡部先生は、槇文彦先生を迎えた「宇沢弘文を読むー社会的共通資本から現代の課題を考える」のコーディネーター役が印象に残っており、ぜひ一度お話を聞きたい思っていた。今回残念ながら現地は体験できなかったが、ゴンジロウについて詳細に伺うことができ、加えて岡部さんが今まさに組み立て中の「所有」に関する研究テーマのレクチャーいただいてとても刺激的だった。

 普通に説明するとゴンジロウのプロジェクトは、空き家(民家)のリノベーションによる拠点づくりということになるのだと思う。実際、具体的な手法、たとえばトリアージ的視点によって再生された炊き場の写真は新鮮だし、茅葺屋根を葺き替えるにあたっての、地域の茅場の現状や流通の実態、「あり合せのもので作られる」という民家の基本の確認もたいへん勉強になった。

 ただ、こうしたリノベーションの実践の話以上に興味深いのは、「ものを考えるために行っている実践の一つ」「いつ止めてもいいと思っている」「共感を信じない」に代表される岡部さんの独特のスタンスである。明らかに普通の地域づくり活動とは違っている。事前に教えていただいたウェブの記事「ゴンジロウ廃屋キッチンで見つけた分かち合いのかたち」には、「慣れない人たちがみんなで料理すると、効率は悪いし、できたものも特段おいしいとはいえない」とはっきり書いてある。これもなかなか普通ではない。

 ところが、こういうスタンスなのに(だから?)、ゴンジロウの周囲ではいろいろな活動が膨らんでいる。ゴンジロウでは「(岡部さんが)海外調査している時に行われるお祭りも少なくありません」ということだし、房総半島の台風の被害をきっかけに、旅する大工さんを塾長とする(オフィシャルには岡部さんは関わりのない)ゴンジロウ塾が生まれ、塾長から指導を受けた学生によって神社の神輿蔵が再建され、佐藤淳さんが構造を検討したバス停が生まれている(才能の無駄遣いといわれそうだ)。魔法を使っているとしか思えない。

 ゴンジロウに他研究室、他大学からも学生が参加し、センサーとRaspberry Pi を使って測定をしたり、3Dスキャンと3Dプリンターを使った金継ぎ的な手法で破損した瓦屋根を補修したりと、それぞれの専門性を活かして活動しているのにも目を見張らされた。また学生達がゴンジロウからオンラインで講義に参加していることにも可能性を感じる。コロナでキャンパスに行けないことは確かに問題であるが、逆に「地域で活動しながら共同生活しオンラインで受講する」ことは今後真剣に考えてよいことだろう(隈研吾さんが日経新聞に書かれていた、所員が地方の現場に居を移すことで「紙漉き」を習得した話にもつながる)。

 岡部さんのようなスタンスによる活動が存在・成立していることは非常に意義深いと思う。誰も排除されないために「心地よい集団になりそうな時には本能的にそれを壊す」という極意は、ぜひ真似したいがなかなか難しそうである。

(鈴木毅)



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