講演+インタビューシリーズ『ライフスタイルを見る視点』


10.まとめ


セミの声がかすかに聞こえる夏の終わりの午後,岩村先生のアトリエでご本人から環境共生住宅について伺うというたいへん贅沢な時間だった。

「踏み絵のような存在だった大阪万博」という学生の頃の状況の思い出から始まり,フランスでのサテライトシティへの幻滅,中近東を経てドイツに渡り,バウビオロギーに出会われたご経験は非常に興味深かった。環境共生住宅の背後には岩村先生のこの長い歩みがあるのだ。

バウビオロギーの概念も,最初から確立してあったものというより,社会状況,伝統的技術の見直しやバウフィジックス(建築物理学)等を背景に,少しずつ違う方向性で試行錯誤する人たちの関係性の中から生まれてきたものであることを,その広がりと厚みとともに理解することができた。

一番印象的だったのは「思想で固められた住宅って辛いよね」という言葉である。時として教条主義的になりがちなエコロジーの思想だが,岩村先生のお考え,志向されるものは全く違う。

環境共生住宅はじめ大きなプロジェクトの際に,リアルな生活を把握するためにグループインタビューの手法を使われているということも新鮮だった。また,ライフスタイルが建築の枠組みで語られるのが日本独特であるかもしれないというお話は,本企画にとっても貴重な御指摘である。日本がドイツと違い,西欧化に伴う生活様式の断絶があることが,ライフスタイルについてわざわざ考える理由なのかもしれないと思った。

独自の環境共生住宅の概念を生み出した後も決してそこに留まらず,東日本大震災を経て「安全保障住宅」へと展開されている。様々な思想に出会い,影響を受けつつもそこに抱く違和感を吟味し,考え続けてオリジナルの概念を構築してこられた重みと迫力を感じた。

(鈴木毅)



岩村先生から環境共生住宅の話を伺っているうちに,いつの間にか,聞き慣れない「安全保障住宅」の話になっていた。日本のような自然災害大国では,環境という言葉の中に,自然災害も含めざるを得ない。環境共生住宅を語る上でも自然災害といかにうまく付き合って住まうかということは,3・11を経験した日本の課題である。とは言え,同じ様な災害が毎年やってくるのならまだしも,どんなレベルのものがどんな形で,いつ来るかもわからないということがこの問題を非常に難しくしている。岩村先生の話を伺っていて感心したのは,その様な想定外の話から始まるのではなく,たとえば,家庭内事故のような想定内の話から「安全保障住宅」を語られていること。さらに,これまで関わってこられた環境共生住宅に対しても,人間の安全を保障するという視点からもう一度洗いざらい検討し直されていることである。質問の余地がないとはこのことである。

もう一つ,私の心にグッと来た話は,「家の中ではだらーっとしていていい」という力強いお言葉である。環境共生住宅でも安全保障住宅でも,24時間,365日気を張っていなくてはいけないというのでは,持続できる自信がない。これは何も,家の中でのリラックス行為だけを指すのではなく,システムそのものの中に「ゆとり」や「遊び」を持たせることが持続のためには必要だとおっしゃっているのだと思う。

この様に,ガチガチの概念や建築ありきで話をスタートされているのではなく,まず,人間ありき,生活ありきから議論をスタートされているところに「環境共生住宅」や「安全保障住宅」に対する共感と,無限の可能性を感じることができた。
(西田徹)




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