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3.空き家と占有原理
岡部:  空き家を考えるもう一つのヒントが、木庭顕さんによるローマ法の解釈です。『新版ローマ法案内』によると、そもそも占有原理というものが存在する。かつて土地は誰のものでもなかった。その状態でも安心して使い続けられるための自然法的な原理があると言うんです。まず占有が続いている事実が絶対に必要になる。仮にとんでもないやつがやって来たとしても、頑張って占有してしていないとダメなんです。その上で占有の質が問われてくる。自分の生活のために耕作していたり家を建てて住んでいたりする場合は、占有の質が高い。一方、法的に持っているだけの大地主や投機的な理由で所有権を購入した場合は、占有の質が低いことになる。こうした考え方を踏まえると、占有の質を高める実践をゴンジロウで試みているのかもしれません。
松村:  ゴンジロウには誰か常駐しているんですか?
岡部:  現在は大学4年生の菊池君がいます。そのおかげで占有の質が高まって、本当に助かっています。ゴンジロウは、法的にはいうまでもなく大家さんのものです。大家さんが所有権をもっています。彼の合意の下、私たちが使っていることによって、誰でもアクセスできる状態になっています。それを公共空間と呼んでも構わないと思いますが、そうした状態だと何が起こるか分からない。実は2〜3年前にゴンジロウの活動が低調になった時期があって、当時は夜這いの場所として使われていた形跡もありました。でも学生がちゃんと使っていたらそういうことは起こりません。今はバス停を作ったり地域の色々な活動をするなど、ゴンジロウを工房として使っていて、それなりに地域に受け入れられている状態です。
今の大家さんはこうした活動に参加していますが、代替わりした時にどうなるかは分かりません。次の代の大家さんと私たちの活動との間にコンフリクトが生じる可能性は当然ある。そうした事態になった時、常識的には法的に所有権をもっている大家さんは守られますが、法的に何ら権利のない私たちは追い出されて当然です。他方、木庭説によると、法の役割はそもそも「占有の質を判断する」ことだったはずだというのです。今日の法解釈ではありえませんが、占有原理に基づいて判断されるとしたら、法的な所有権は顕在化せずに、私たちが活動していることによって守られる可能性がでてきます。
ちなみに様々な社会システムの起源は、古代ギリシアのポリスにあると言われますよね。木庭さんによれば、都市の外には縄張り争いをしている領域、つまり集団の利益が優先されて個人が犠牲になる領域が広がっていて、そこをこじ開けるようにして都市が作られた。そうだとすると、領域と呼ばれる世界に住む人たちが逃げ込んだ都市は、むしろ領域の〈外〉だったんじゃないかとも思います。



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