このシリーズで講師のお話をうかがって毎回感じるのは,人の思想・活動の背景と文脈である。今回も,芹沢さんが2つの闘争の狭間の世代であり,社会問題に浮かびあがるずっと以前に,自分の問題として家族論を考え始めたこと。一度は家族の行方がみえてしまっていたのが,オウム事件後,養護と介護の問題とともに再び家族論が浮かびあがってきたことなど,思考が時代状況との密接な関係の中で生み出されたきたことを理解することができた。 |
建築の計画の世界だけでなく,思想・評論の世界でも「平均的な家族に焦点をあてていた」という認識・反省があることは少し驚きであった。おそらく西川先生のいわれる日本の近代化のための枠組みの強固さによるのだろう。 |
そして何よりも「施設を越えた施設」「家族を越えた家族」という方向性が多くの領域で共有されていること,そのあり方についてポジティブに考え始めた人々が―芹沢さん自身も含めて―同時多発的に居るのだということを,あらためて確認することができた。建築分野の人間としては,その言葉をファッションとして消費してしまうことを注意深く避けつつ,それがどのような姿になりうるのかを構想・提案していかなければならないだろう。 |
ちょうど今,大学2年生の設計製図で「住宅」の課題が進行中なのだが,女子学生は家族設定としてグループリビングを選ぶ場合が多い。「何故その形式なのか」「そこでどのような生活が営まれるのか」という問いに対して,必ずしもはっきりした回答がかえってくるわけではないのだが,彼女たちも直感的に標準家族でないものにリアリティを感じているのだろう。 |
(鈴木毅) |