生活空間としての「町」を感じさせる新しい「場」
中村政人さんは以前から存じ上げている。拙著「『住宅』という考え方」(1999年刊)をお読み頂き、突然連絡して来られてからのことだ。今日の日常的な風景の背後にある社会、とりわけ「住宅」を実体化させる仕組みとその歴史的な背景、そしてあり得たであろうオールタナティヴに思いを馳せながら書いた本だったが、読者としての中村さんはその点に反応して下さった。それから時折中村さんとはお会いする機会があったし、アーツ千代田3331の立上げの際にも何かと接点があった。
実は、私もしばしばアーツ千代田3331を使わせて頂いている。友人も何名かここに事務所を置いている。私にとっては、いつでもふらっと立ち寄りたくなる場所である。来たことのない人を必ず案内したくなる場所でもある。集まる人々の多様性も魅力的だし、いつ行っても新しいイベントがどこかで行われている。元中学校の廊下や階段、上履きの匂いが残る体育館なども身体になじみが良く、どこかほっとする。そして、公園とののびやかな関係。天気の良い日などはベンチにずっと腰掛けていたくなる。
私が勝手に言ってきた「利用の構想力」が組織化された最良の事例だと思う。中村さんたちの「利用の構想力」とその組織化によって、廃校とそれとは全く関係のなかった平凡な公園が、こんなにも輝く「場」になることに正直驚いている。そして、この「場」の登場で生活空間としての地域も変わりつつあるように思う。
この「場」の大きな特徴は、一般の商業施設やサービス施設に見られる生産者と消費者の明確な区分けがなく、いわば仕事も遊びも含めた人間の生活の全体が、特段の区別なく包容されているところにあると感じる。この空間は「町」と呼んでも良いかもしれない。少なくとも現代人としての私はこんな「場」を潜在的に希求していたのである。中村さんにはそのことに気付かされた。
(松村秀一)
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