ニューヨーク、メルボルン、そして京都
今回の京都行きは、ニューヨーク、メルボルンへの出張から帰国して間もなくのことだった。
ニューヨークでは、中国系工務店社長の家に招かれた。郊外戸建住宅である。40歳代前半のこの社長は中国広東省出身。若い頃アメリカ大陸に渡り、シカゴの中華料理店で働き、店を持つようになってから、今度はニューヨークに移住。ここで新しく建設業を営み始めた。この先も適当な時期に建設業をやめ、次は不動産業をと考えているようである。今住んでいる住宅も、子供が大きくなればすぐに引っ越すつもりだという。住居、居住地と同時に仕事を頻繁に変える。そんなライフスタイルであるが、彼の地では珍しいことではない。
メルボルンでは、かつて4歳の頃に欧州から移り住んできたという初老の教授が、終日町を案内してくれた。第二次世界大戦後、一種の難民として、彼の両親がオーストラリア移住を決断したのだが、ここではそうした住民は決して珍しくない。この教授の次の質問が印象的だった。「この国の多くの人にとって、今でも文化の源は大英帝国の中心都市ロンドンだが、私がかつてロンドンに行った時にはそんな感慨はなかった。私はドイツ人の父とロシア人の母の子供だから。私には、未だにその場所が見つからないが、君たち日本人にとって文化の源と思えるような場所はどこなのだ。」
ニューヨークもメルボルンも百数十年は経つだろう住宅がそこここに残り、歴史的な都市の佇まいを残しながら、中で暮らす人々は想像以上に流動している。そんなことを感じる旅だった。
これら、いわば場所から自由な人生を送ってきた都市住民と会って帰国したところで、今回の京都行きだった。今度は一転。かつての町家の多くは、既に現代的なマンションやビルに建て替わり、歴史的な都市の佇まいが残せるかどうか微妙になっているこの古都にあって、代々同じ場所で装束店という伝統的な家業を続ける丸橋さんとの面会である。
装束店という特殊な仕事の成立ちからして、京都特有の業種のようだが、最近では他府県の同業者もいるとのことであったし、協力業者も京都在住とは限らなくなっているようである。もちろん注文は全国から来ている。京都の都心部でこの仕事を続ける必然性は薄れてきているようにも思えるが、代々家業を営んできたこの場所から離れたとしたらどうなるだろうか。その際のある種のアイデンティティの喪失は容易に想像できる。この場所に居続けることと、誇りをもってこの家業を続けることとは分かち難い一つの事柄なのではないか。そう感じた。
思えば、今日の日本の都市生活には、ニューヨークやメルボルンの例で見たような国際的な流動性もあまり見られないし、丸橋さんの京都のような職の継承に伴う定住性も希薄である。良し悪しの問題ではないが、都市での暮らしについて考える上で、大切な対照だと思う。
(松村秀一)
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