ライフスタイル考現行


2.社会システムから解放された〈外〉
岡部:  ゴンジロウは二つの意味で社会システムの〈外〉だと考えています。住宅は住宅市場で供給されます。空き家はそこからドロップアウトした存在ですから、そもそも住宅市場というシステムの〈外〉にある。もう一つは、本来の学びの場という意味です。今の大学は社会システムの中にがっちり組み込まれていますが、もともと大学は封建社会の〈外〉の自由都市にできたものだった。吉見俊哉さんの『大学という理念』によると、大学は「教師と学生の協同組合」すなわち「自由の結界」だった。こうした二つの意味で、ゴンジロウにはポジティブな可能性があるんじゃないかと考えています。
最近、所有とは何なのか考えるようになりました。これには過大利用と過小利用という二つの問題があります。一般的に言われるのは、前者のいわゆるコモンズの悲劇です。私が研究フィールドにしてきたスラムもその一つで、多くの人がアクセスできるようになると、その資源が食い潰されてしまう。スラムが高密度化して環境が悪くなるのは過大利用。その一方で、マイケル・ヘラーの『グリッドロック経済』などが指摘するアンチコモンズの悲劇もある。排他的所有があまりにも細分化された結果、市場の調整が上手く働かなくなる。ヘラーの議論は主に知財を扱っていますが、人口減少に伴って顕在化した空き家も過小利用問題の一つだと思います。
こういうことを考えるようになったきっかけは、E・グレン・ワイルの『ラディカル・マーケット』です。最もマーケットを信奉している分野から、私有財産から脱するという発想が生まれている。この本は、最初にブラジルのファベーラを取り上げ、左派、右派そしてテクノクラート的中道派のいずれにも解決できない格差の問題があること示しています。最終的に提唱しているオークション導入の仕組みは、正直言って私には分かったような分からなかったような内容でしたが、格差を乗り越える市場のあり方を考えている人たちが、私有財産を問題にしていることは示唆的です。ドロップアウトによって社会システムから解放されたのなら、空き家は所有より前の状態に戻ったと考えられます。そうした視点から、ジョン・ロックの『統治二論』も読んでみました。近代の私有財産制の基礎を作った本と思われていますが、その前の状態が結構書いてあってすごく面白い。空き家を考える時には、ここがポイントじゃないかと思っています。



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