講演+インタビューシリーズ『ライフスタイルを見る視点』


5.日本の特殊性

松村 日本人は恥ずかしがり屋で自分の生活を人に見せず、かつ物をたくさん持っています。 一方で、海外の住宅では入り口を入ってすぐにリビングがあり、そこには家族のプライベートな写真が飾ってあるのをよく見ます。 関係性として、そのような海外の住宅では空間を分節することを必要としていない印象があります。日本の住宅の外と内の関係は特殊なのでしょうか。

鈴木 日本は近代化により均一化されたという側面があるので、こういったことが議論になると思います。

松村 ライフスタイルの議論をする際には国際的な様相が話題になりますが、海外では問題にならないであろうことが日本では問題になることがあると思います。

小泉
日本の特殊性ということでしたら民族性による部分もありますが、現在が過渡期だということもあると思います。 近代的な個を確立する過程であるということです。家族を例に考えると世界には多様な形態があり、 そう考えると日本だけが特殊ということではなく、いくつかのパターンの中の一つでしかないと思います。
先ほど話しましたが、すべてを特殊解として扱わなくても良いのではないかと考えています。 例えば自動車は日本で走っているものと欧米で走っているものはさほど変わりませんよね。

松村 しかし自動車と比べると、住宅はより精神的に重きを置かれている気がします。

鈴木 日本が特殊だと思うのは、戦後に近代化と西洋化が同時に起きたのことがあると思います。

小泉 食寝分離という議論は戦時中のものですよね。もしそれが戦後に起きていれば、今の話とも符合するのですが。

鈴木 野口悠紀雄さんの『1940年体制』(東京経済新報社、1995年・新版2002年)によると、戦後を支えたのは戦時中の体制であるそうです。建築計画の議論も同様な側面があると思います。

松村 私の研究の専門である住宅生産においては、1940年ではなく、昭和20年代が決定的かなと思っていますがね。 例えばこの時期にどっと庶民住宅向けの請負制度がでてきますが、今まで主張してこなかった人が主張するようになって、今日的な生産構造の原形が形作られる。

また、私が学生時代の話ですが、建築学科の教育では、時代錯誤的に「サムライ」を教育している意識があるのではないかと感じていました。 誰もそんなことは言っていませんが、「士農工商」という根強い枠組みがあり、建築は「商」なんてもってのほか、「士」として社会のためにきちっとしたものを作らねばならない、という教育をしていたように感じます。 そして、昭和20年代に、そうした枠組みが壊れずむしろ強化されたようにも思えるのです。

鈴木 社会主義思想から建築に「公共性」が入ったことが原因の一つかと思います。

松村 「公共性」が「サムライ」と結びつくのがやはり日本的だと思いますね。 アメリカでは昭和20年代には既に建築がビジネスとして成立していたはずですが、当時アメリカの影響下にあった日本では建築のビジネス的な側面はあまり語られていません。

小泉 建築教育だけでなく、日本での「官」が社会全体をリードするという位置づけによる部分もあると思います。

松村 ちょっとまとまらなくなりましたが、そろそろ時間ですので。小泉さん、また遊びに来て下さいね。


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